どうも、こんにちは。
この何日かワイドショーの話題を独占している、25人が犠牲となった
大阪・北新地のビル放火殺人事件について、ちょっと言いたいことが。
犯人の61歳男性が精神疾患で引きこもりだったことで、事件との因果関係はあるのか? 
という分析をワイドショーでは連日なされていますね。一方、ネット上では
お馴染みの「死にたいなら、他人を巻き込まずに勝手に一人で死ね❕」
といった主張が大勢を占めていますね。この数年「他人を巻き添え自殺」
が異常に起きているので「勝手に死ね」論が主流になるのもわかります。
ですけど「死ぬなら勝手に死ね❕」で思考停止してしまっても、
このての事件の奥底に潜む闇や心理が判明しないと思うんですよね。
この安易な「勝手に死ね」論だと、事件の再発を抑制する手がかりには繋がらないと思う。
だって、引きこもりで孤独な人なんか山ほどいるわけで、大事なのは
一体何がこの生残な事件のきっかけになったのか?同じような境遇の人が、
こんな蛮行を起こさない為に、社会にできることは何か?
これはワイドショーだけじゃなく、学校でも家庭でも考えないといけないと思う。
なぜなら、誰しも狂う可能性はあるんだから。

この61歳の男性も、家族に対する殺人未遂容疑で逮捕歴がありましたが、
愛憎が狂って殺意に変わる対象は、家族に対してが多いのは、
過去の事件を見ても明らかです。男の立場からいうと、子供も成長し、
もはや妻からも子供からも、そして職場からも頼りにされなくなり、
家庭や職場に居場所や自分の価値さえ見失って、孤独感、疎外感に苛まれている男性。
挙げ句の果てに離婚され、精神的にも現実的にも孤独に落ちた人々。
このような人達に対して同情する人もいると思いますけど、
これが『何十年後の自分の姿かもしれない』
という想像力を持てる人って、
どれだけいるんだろうか?みんな他人事のように憐れんでばかりですよね。
僕が強く思うのは、でも・・・それでも男は「家族愛」という「幻想」を信じて、
ひたすら盲信して生きていくしかないと思っています。
はい、家族愛なんて、しょせんは幻想です。でもこの幻想を信じれなくなったら、
もはや生きている意味を感じられずに、自暴自棄になってしまうのは、
仕方ないとも思うんですよね。特に男性には多いと思う。
いわゆる「引きこもり」=「社会悪」とするのは、偏見だとは思いますけど、
だからといってこれだけ生残な事件が多発している以上「偏見を持つな」
というのも、違う気もするんですよね。確かに偏見は差別に行き着きますが、
と同時に本能的な「偏見」があるからこそ、大事な家族を守ることができるのも、
また事実です。家族愛なんて幻想です、でも幻想力の無い人が営めるほど、
家庭生活は楽でもないし、容易でもありませんよ。