昨日の続きです。
小学生の頃から行きたかった場所です。
登呂遺跡。
第二次世界大戦中に発見されました、世界でも有名な遺跡です。
博物館館内、一階には竪穴住居を始め土器や生活用品などのレプリカが展示してあり、二階有料フロアには出土品が展示されております。
政をする巫女が使ったとされる、琴です。
こういった椅子や音の出るものなどは一般の人間ではなく、神事を行うリーダーしか使えなかったと、館の方がお教え下さいました。
丁度、私たちが館内へ入ったときには人が少なく、館の方が様々なことを横へついてお教え下さいました。
これはテストにもよく出題されました、高床倉庫ですね。
鼠がこうして登って参りましても、
この鼠返しで中の作物、主に米を守れる仕組みになっているのですよね。
久し振りに説明を聞き、高揚してしまいました。
これ、横に写っておりますのは息子の足なのですが、息子も祭殿のレプリカに入り「中入ってみたで!」と興味を持って見学しておりました。
こちらはその、祭殿の中です。
祭殿の復元建築物。
思っておりましたより大きいです。
住居も幾つか建てられており、生活の状況がほんのり分かる気持ちです。
火熾しの道具。
火熾しは、昔のボーイスカウトでは必須でしたので私はしたことが御座います。
住居の中は真ん中に火を焚く場所があり、周りを囲んで座ったり横になったりできる程度の広さがあります。
火の上には筏と同じような組み方の棚のようなものが吊るして御座います。
これは位置からして、肉の燻製などを作ったのでしょう。
腰板が張られており、隙間風や底冷えから少しひとを守って下さったでしょうね。
しかし土間のような土床は寒そうです。
筵など、畳の前段階の敷物の発祥が奈良時代ですので、それまではこの土間に木の板を敷いた簡素な状態が“良い”住まいだったのでしょう。
むらの全貌を撮ろうと致しましたが、丁度そこへ団体さんがいらっしゃいまして、沢山人が写り込んでしまいました。
田の再現も御座いますが、マンションなどもすぐ近くに見え、結構な街中に保存されているのが分かります。
続きます。