ドクタースランプアラレちゃんや、ドラゴンボールの作者、烏山明さんが68歳という若さで亡くなった‥
国民の誰もが知ってるアニメを描いた代表的な人だと私は思っている。
昭和のアニメって昭和生まれの私からみたら
ホッとするものもある。
最近のアニメとの大きな違いは風景だと思う。
最近のアニメは新海誠監督の映画をみればよくわかると思うし、バイオレットエヴァーガーデンなどもそうだけど、とにかく風景が美しい。
写実的というか
写真?と思うほど美しい。
その現実感のある写真のような風景の中に、突如として二次元的なアニメの登場人物たちが登場してくるから、ある意味 溶け込んでない
私からみたら不思議な光景というか‥
今時の若い子たちは、そういうアニメで育ってるから
コスプレなどをして、今生きてる現実の中に自分がアニメに出てくる登場人物のようになったつもりでいたりできるのかな?とふと思ったりもする。
初音ミクなんかもそうだし、アドちゃんが歌うワンピースの登場人物のウタとして歌番組にでていたけど、そんな延長線なのかな?とか
ほんとにアニメキャラクターみたいな女の子が多くなった気がするから‥コスプレじゃなくても
そんなアニメみてると、昔の昭和のアニメは
すべて二次元的でほっとしてしまう自分がいる。
こちらと違う世界のお話なんだとわかりやすいというか
そして、宮崎駿監督の作品
パンダコパンダの時代から全て観ているけれど、風景が写実的な感じもしなくはないが、まだ写真のような風景とは違うから安心できる。
君たちはどう生きるか‥
アカデミー賞 長編アニメーション賞をとったとニュースでいっていたが、本当に奥深いいい作品だった。
あの作品だけは宮崎駿さんが、ご自分のために作られた映画じゃないかなーと私は観た時に感じた。それまでの作品は人のために作ってきたように感じるのだけど‥メッセージ性が強いというか
君たちはどう生きるかだけは、何かご自分のための卒業作品のように感じたように記憶している。
作品の中に綺麗な景色がたくさんでてくるわけだけど、美術鑑賞してきた人なら、誰でも、あれ?とおもうような、あの絵にインスパイアされたものだなとかわかるものが沢山あった。
たとえば
ミレーのオフィーリア
あとはモネの水蓮
他にも色々あったと思ったけど、あまりに時間が経ちすぎて思い出せない‥
オフィーリアは
シェイクスピアの
ハムレットの恋人の名前で、
オフィーリアが川に身を投げたシーンを描いたものとそっくりの絵が映画の中に出てくるのだけど‥
川の中に12種類の花がちりばめられている
その花言葉がオフィーリアの複雑な気持ちを表しているというもので‥
ハムレットの父親は王様だが
ある日弟に殺されてしまう
で、妻である王妃と王の座を得た父親の弟、つまり叔父に対して
ハムレットは復讐をするというのがおおまかなあらすじなのは有名
その中で、ハムレットはハムレットの母親、今はその叔父の妻になった王妃と密談してるところを盗み聞きされてしまうんだけど、その盗み聞きした相手が伯父である王だと思って殺してしまうわけだけど、実はそれが側近の重鎮だったハムレットの恋人オフィーリアのお父さんだったという‥
オフィーリアは復讐にもえて、自分に冷たくなった恋人、そして父親までもあやまってとはいえ殺してしまったハムレットに絶望して
川に身をなげてしまう
それがオフィーリアの悲劇なわけだけど
君たちはどう生きるかと少しリンクするところがあるように感じた‥
それもこの絵を参考に中にしのばせた理由の一つでもあったのかなーとも
夏目漱石の草枕もオフィーリアからインスピレーションを受けてかかれたもので、このオフィーリアはやはり人を魅了する力があるな‥とあらためて感じたのを思い出した
で、この作品が本当に最後なんだなって思わせるシーンが
でてくる叔父さんって人が作った世界をもう自分は守っていかれないから
血の繋がるだれかについでほしいというのだが
これは
おそらく宮崎駿さんが自分はもう作品をつくれないから
誰かにこのあとをついでもらいたいって気持ちのあらわれだとおもった‥
でも結局、その世界は破壊されるのだけど、それも
彼の考えなんだとおもった‥
息子が映画製作をすでにしてるわけだけど、自分のあとをつぐのではなく、自分の好きなように自分の作る世界を大切にしなさいというメッセージを感じたんだった!だんだん思い出してきた!
あとは
エンドロールの名前が、おそらく全部自体が違うので、一人一人本人にかいてもらったんじゃないかと思ったのだけど
宮崎駿の字が変わってた‥
これも新生宮崎駿というか
映画監督から普通の人になるというケジメの一つのあらわれなのかなーと
一人一人のスタッフにかいてもらったのも
終了の契約のサイン、もしくは寄せ書きのような気持ちでそうしてもらったのか
とか
とにかくこれが最後なんだろうという覚悟を感じた
そして、この作品ををみたら
まず、あ、お母さんとちゃんとさよならするためにこの作品を描きたかったんだって感じると思う
産道をおもわせる通路とか
色々生まれることに関してのメタファーがあちこちに散りばめられてる
彼のマザコンは有名だけれど、今回この映画を作ったことで、お母さんから卒業したのかな?と
病弱なのに気が強いお母さん
宮崎駿さんの世界のお母さんは病弱か気が強いお母さんばかりですよね
ただ、今の若い人に理解できるのかなーと思う設定も‥
戦前、戦中、戦後まもない頃は
長男が戦死もしくは病死したら
長男の嫁は次男の嫁になる
家と家との婚姻関係が結婚という意識だった時代がある‥
この映画にもそういう背景があって、でもそれを受け入れられない子供の姿とかあって
今の若い子が、こういう社会事情を知らずにみたら、単にお父さんがお母さんの妹のことがすきになってしまったドロドロしたお話と思わないかなーと‥
でも、全体としては本当に奥深くて、宮崎駿さん、お疲れ様でした!ありがとうございました!と言いたくなるよな映画でした。