2025年5月10日
新任教皇レオ14世は神の実在を信じているだろうか?
カトリックのトップ、14億人の信者のトップが信じていないはずはないと誰もが思うであろう。
そんな疑問の生じる余地はない、馬鹿げた疑問だと思うであろう。
しかし、それは本人の腹の内のことで、聞けばもちろん神の実在に疑いはないと答えるであろうが、ホントのことは分からない。
というのは、一神教各派それぞれの内部には、考え尽くした上で、「神は方便」と考えている人たちがいるからだ。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教のそれぞれに、神による天地創造説の非科学性を十分に認識しつつ、なお信仰の意味、価値、重要性、不可欠性を信じ、信仰を維持している人たちがいるのだ。
その人たちは、人類をとりまく世界は人類が生きるべく、人類に好ましくつくられているということこそ、人類が知るべき最重要メッセージと考えている。
その大前提が無ければ人類社会は成り立っていかない。その前提があるからこそ、正義、善、倫理等の価値が成立する。その前提を万人に信用、承認、納得させなければならない。そうでなければ人類社会は崩壊する。このように考えている。
そして、神による天地創造説はそのメッセージを万人に信用、承認、納得させるための方便と考えているのだ。
(その方便を考え出した何らかの「意志」の存在を考えているのかもしれない。)
レオ14世という人類の大知性が、大学で数学、哲学を学んだ後に修道会に入ったというその経歴からしても、科学が明らかにする諸事実と対決してこなかったはずはない。
レオ14世は自分の中でそれをどのように処理してきたのであろうか?そしてそのことを人々にどのように表わしてきたのであろうか?
そして、科学は遂にビッグ・バン宇宙論、膨張宇宙論によって、宇宙は究極的には消滅してしまうこと、最終的には人類が生きるべく、人類に好ましくつくられてはいないこと、人類社会は限界のある一時的存在でしかないことを明らかにしてしまった。
レオ14世のみならず、一神教のみならず、全宗教が今日直面しているのは、この深刻な科学的事実のもとで、いかに正義、善、倫理等の人類的価値を維持し、人類社会を運営していったらいいのかという問題である。
人類は今、「神も方便」の次の局面に入っている。