2025年4月30日

 

 公的に提供される高齢者福祉の程度は、その時点における国全体の経済状況(それを反映する現役世代の生活状況)、高齢者処遇についての時代精神、そしてそれまで講じられてきた年金をはじめとする高齢者福祉の制度によって決定される。

 決して継続されてきた制度だけによって決定されるものではない。

 制度には慣性の法則があって、従前の制度がある期間そのまま延長することはある。しかし、その延長が国全体の経済状況と時代精神に適合していなければ、制度はそれらに応じて早晩変更されるものである。

 そういう意味で制度は、国全体の経済状況と時代精神の従属変数である。

 国全体の経済状況と時代精神が高齢者福祉の程度を決定する主たる要素であり、制度は副次的な要素だといってもよい。

 

 年金制度について、若い世代にとって得だとか損だとか、約束された金額が支払われないとかの議論がある。

 そのような議論は、制度を固定的に考えた上でのそろばん玉の、すなわち金額計算だけの議論でしかない。制度が従属変数であるという視点からすれば、矮小な議論にすぎない。

 

 今の若い世代が高齢者になったとき、日本全体の経済状況が良好で現役世代の生活も豊かであり、時代精神が高齢者尊重であれば、制度が定める給付がたとえ低いものであったとしても、現役世代の生活水準に応じて高齢者の生活が引き上げられるように制度は変更されるであろう。

 逆に経済が不調で現役世代の生活も苦しい場合には、制度が定める給付がたとえ高くても、現役世代の苦境を横目に高齢者が豊かな生活を享受するわけにはいかず、高齢者尊重の時代精神があったとしても、高齢者への給付を引き下げるように制度は変更されるであろう。

 また、将来の時代精神が高齢者を尊重しない、高齢者に冷たいものであれば、たとえ好調な経済状況であったとしても、高齢者は切り捨てられるべく制度は改正されるであろう。

 

 そして、高齢者の要求は現役世代との生活のバランスにあるのであって、決して収支計算上の損得ではないというのが真実である。

 現行制度を前提としただけの損得議論は、この真実を見失っており、無用の、誤った損得感情を誘発する有害な議論とも考えられる。

 

 若い世代をターゲットとしてその苦境に寄り添おうとする某政党の基本的姿勢を否定するものではないが、その姿勢をアピールするためにとられる、世代間対立をあおるような年金の机上計算は、高齢者尊重の美風を妨げ、却って若い世代の将来を不安定化させる結果をもたらすこととなるように思える。