2025年3月7日

 

 本日(3月7日(金))朝のNHKニュースによれば、トランプが日米安保条約に対する不満を表明したとのことである。

 不満の理由は条約の片務性、すなわちアメリカは日本を防衛する義務を負うが、日本はアメリカを防衛する義務を負っていないというところにあるという。

 このことに対する説明は、アメリカの日本防衛義務に対して日本はアメリカに対して基地提供義務を負ってバランスはとられている、すなわち双務的条約であり片務的条約ではないというものである。

 トランプの発言が単なる思いつきのものであるか、戦略的なものであるかは、現時点では不明ではあり、あわてた対応には慎重であるべきだが、かねてよりの問題であり、あらためて考えておかなければならない問題であると考えられる。

 

 トランプの不満に正面から応じて日本がアメリカの防衛義務を負うということは、我が国の集団的自衛権の行使を認めるということであり、現行憲法上は違憲となるものであって、憲法9条の改正を要する。

 憲法9条の改正に我が国が踏み切らない場合、トランプの表明している不満が直接的に解消されることは原理的に有り得ない。

 トランプに現行日米安保条約の双務性を納得させることができれば、これまでの日米間の了解が継続されることになりハッピーではあろうが、その保証はない。

 トランプが不満の矛をおさめるために、各種条件を日本側に押し付けてくること、すなわちディールにしてくることも考えられる。

 その条件とは、日本の軍事予算の拡大、アメリカから要求する軍備の購入、駐留米軍経費の日本側負担の増額がまず考えられるが、ディールの俎上には軍事面のみならず日米間のあらゆる利害関係が無制限に上げられてくることも考えられる。

 このような展開には、アメリカ、そして日本の交渉態度如何によって、双方がどれだけ妥協を示すかによって、ディールは成立せず、日米安保条約体制が終了を迎えるということも考えられる。日本はアメリカの「核の傘」から離脱し、大きな「抑止力」を喪失することになる。

 日米安保条約体制の終了、「核の傘」からの離脱となれば、日本は単独で安全保障を確保するか、日米とは違う枠組みの集団安全保障体制を構築するかの方法をとらざるを得ない。(注:「集団的自衛権」と「集団安全保障」は異なる概念であり、「集団安全保障」がすなわち違憲ということではない。)

 この場合、単独、集団のいずれの方法をとるにせよ、日本はどのような軍事力を整備するかの選択を迫られることになる。

 すなわち、象徴的にいえば、敵基地攻撃能力(ここには「核ミサイル」も選択肢として当然に含まれてくる)の保有による抑止力の単独獲得の道をとるか、いわゆるハリネズミ防衛体制(ここには全国的な核シェルターの整備が含まれてくる。)を構築するかの選択である。(注:「敵基地攻撃能力の保有」はその行使が「急迫不正の侵害」への対処に限定されていれば違憲ということにはならない。)

 

 以上を整理すれば、①トランプ発言にあわてた対応をすれば無用のディールに引き込まれる恐れがあり、まずはトランプ発言の真意を探り、発言が本気だとすれば、②憲法改正は断固拒否して、アメリカの戦争に巻き込まれることとなるアメリカ防衛義務は拒絶し、③ディールに巻き込まれた場合には、国際緊張を高める敵基地攻撃攻撃能力の取得の要求を断固拒否しつつ、一定の妥協は覚悟して現行日米安保条約体制の維持を図り、一方では④現行日米安全保障条約体制の終了を想定したハリネズミ防衛体制を整備するとともに、極東における新たな安全保障体制の構築に向けて努力する、ということになるのではないだろうか。

 いずれの道をとるにせよ、現状の防衛予算の飛躍的拡大、平時的経済への大きなマイナスの影響は覚悟せざるを得ない。

 トランプ発言の有無にかかわらず、そういう時代を我々は迎えていたのだ。