2024年12月11日
日本被団協へのノーベル平和賞授賞式が昨日(12月10日)行われた。
非核、反核運動の大きな成果であり、大きな前進である。
核による人類の悲劇を抑えるのに大きな効果が期待されるものであり、高く評価される。
しかしながら、非核、反核運動には、それが意識的なものではないかと思われるほど、明確で重大な欠落がある。
非核、反核運動が究極的に目指すものは非戦、反戦であるはずだ。
あるレベル以上の大量殺人が否定され、それ以下のレベルであれば許容されるなどという馬鹿なことはない。
非核、反核運動は、非戦、反戦の視点に立ってこそ真に意義あるものとなる。
したがって非核、反核運動は、当然のこととして、戦争が起きるのは何故かという戦争の原因についての問題に向き合い、それを除去しなければならない。
そこを目指さなければ、非核、反核運動は、思考停止であり、中途半端なものとならざるを得ない。
戦争の原因は、ナショナリズムというエゴイズムである。
ナショナリズムとは、自分たちの民族、国家の利益を他の民族、国家の利益に優先させる思想のことである。
このナショナリズムはその根拠を次のような言説に置いている。
すなわち、自分たちの豊かさは自分たちの祖先、親たち、そして自分たち自身が、その能力、努力によって獲得してきたものだという言説である。
自分たちの資産、自分たちの領土、自分たちの地下資源についても同じように考えられる。
自分たちの富はしかるべき、正当性のあるものだという言説である。
しかし、このような言説は、歴史科学的に9割9分真実ではない。
エゴイスティックな視点を少し変えるだけで、そのことは容易に理解することができる。
しかし、世界の知性のほとんどは虚偽の言説に立ち向かうのではなく、むしろ逆に虚偽を上塗りする方向に費やされている。
恥ずかしいことに、自分たちが信じたいという、都合のいい方向に真実がねじ曲げられているのだ。
虚偽の言説を基礎とするナショナリズムは、真実を探求する知性によって克服されなければならない。
たくましい、力ある知性が全世界で立ち上げられなければならない。
被団協は非核、反核が次世代につなげられていくことを強く要請している。
次世代は単に非核、反核を受け継ぐに留まっているのでは極めて不十分である。
ナショナリズムが放置されたままでは戦争はなくならない。
戦争がなくならなければ、勝利のための効率的大量殺人への志向~すなわちそれは核をもたらした志向~は維持され続ける。
究極的目標たる非戦、反戦のためのナショナリズムの克服に向けて、次世代の知性と良心が動員されなければならない。
そこにつながるものとして今回のノーベル賞受賞は一層意義あるものとなるのである。