2024年10月4日
ペルーのノーベル文学賞作家マリオ・バルガス=リョサによる「ケルト人の夢」(野谷文昭訳、2021年岩波書店)は極めて多面的内容を持った長編小説である。
主人公ロージャー・ケイスメントの愛国主義が取り上げられているのはそのうちの一面でしかない。
かつ、愛国主義批判は他者の言葉の引用として登場するのであり、作者マリオ・バルガス=リョサの愛国主義に対する立場が小説中に直接述べられているわけでもない。
しかし、手放しで英雄視されかねない主人公の愛国主義に対して、批判的観点があるのだということを指摘しておかなければならないという思いを作者が有していたことは確かだろう。
主人公ロージャー・ケイスメントはアイルランド人である。
イギリスの外交官としてベルギー領コンゴと南米ペルーでの先住民に対する虐待、残虐行為を調査すべく現地に派遣され、爵位を与えられるまでの実績を上げた人物である。
その彼が祖国アイルランドもまたイギリスに侵略、支配されているのだという意識に目覚め、その独立のために第1次世界大戦中ドイツと手を組む。
そしてイギリスにより逮捕され、反逆罪として絞首刑となったのである。
その生い立ちから処刑までを、その性的志向までをも含め、描いたのがこの小説である。
人類が直面している戦争の問題を解決するために、何としても早急に克服しなければならないものがナショナリズムである。
そのナショナリズム(この小説では原文不明ながら、「愛国主義」という言葉づかいがなされている。)が筆者にとって「わが意を得たり」の感で語られていた。
小説の紹介にはまったくならないが、ここに引用させていただく。
《愛国主義はごろつきの最後の避難所である》(ジョンソン博士(詳細不明))
《愛国主義は正気を奪う。》《愛国主義が私たちから正気、理性、知性を奪うのを許してはならない》(アリス・ストップフォード・グリーン(アイルランド人歴史家、主人公の最後までの精神的支え))
《それ(愛国主義と正気、理性、知性)は相容れないものだよ。間違ってはならない。愛国主義は宗教なんだ。正気とは両立しない。それは単なる反啓蒙主義、信仰という行為さ》(ジョージ・バーナード・ショー(著名なアイルランド人劇作家))
《われわれは皆自分の中にこの手の先祖(魔術、病、恐怖から自分たちを守り、あちらの世界と通じていると、部族の男も女も信じさせる魔術師)がいるんだ。我々が畏敬の念を抱きつつ信仰を捧げるシンボルだよ。紋章とか旗とか十字架とか》(ハーバート・ウォード(主人公のアフリカ時代からの友人、彫刻家、ドイツと手を組んだ主人公と最後は決別)
なお、この最後のハーバート・ウォードの発言については小説中に次のようにフォローされている。
「 ロジャー(主人公)とアリス(2番目の発言をした歴史家)は、シンボルを人類の理性を欠いた時代のアナクロニズムとして見るべきではないと主張して反論した。それどころか、例えば旗というのは、連帯感を感じ、信仰、信条、習慣を共有し、共通点を破壊するのではなく強化する、相違と不一致を受け入れる共同体のシンボルなのだ。二人は、アイルランド共和国の旗がはためくのを見ると、いつも心を動かされると打ち明けた。その言葉を聞いてハーバートとサリータ(ハーバートの妻)はどんなに彼らをバカにしたことか!」
最近はほとんど耳にすることがなくなったが、一時はさかんに行われた「日の丸、君が代」論争を想起させるではないか。