2024年9月27日
表題中の「信念なき人」は退陣間近の岸田首相のことである。
新しい総理総裁が選ばれる今日、岸田首相の総括としてこの言葉を岸田首相に進呈する。
信念はあったのかもしれない。しかし、表明されない信念は政治家にとって信念とは評価されない。
たとえスローガンとして掲げられたとしても、内実のないスローガンは人気取りの看板にすぎず、信念の名に値しない。
結局、岸田首相にとって大事だったのは首相の座、権力であって、自らが持つ信念の実現ではなかったということだろう。
表題中の「重大決定」として筆者が考えるのは「敵基地攻撃能力の取得方針」である。
「敵基地攻撃能力の取得」は「正当防衛」の考え方(急迫不正の侵害に対する行為は罰しない)を準用する憲法9条に関する政府見解からして憲法違反ではない。
「急迫不正の侵害」が【確実に】予測される段階において、敵基地を攻撃して侵害を抑制することは「正当防衛」的なものとして憲法9条政府解釈上は是認される。
しかし、「敵基地攻撃能力の取得」は、相手国にとっては「正当防衛」に限定されるという保証はなく、日本の侵略・一方的攻撃能力の取得という「脅威」として認識されざるをえない。
また、「敵基地攻撃」は全面戦争の開始を意味し、その場合日本単独で必要十分な「敵基地攻撃能力」を保有することは到底不可能であり、現実的には、同盟国アメリカの戦略の一部を分担するという「敵基地攻撃能力の取得」ということにならざるを得ない。かつ、情報収集及び兵器の取得について全面的にアメリカに依存せざるを得ない。
「敵基地攻撃能力の取得」は、これまでも進んできた日米の軍事一体化をなお一層深め、不可逆化することとなる政策と言わざるをえないのであり、相手国も日米を軍事上、完全に同一視する結果となるであろう。
このような事情に配慮して、憲法上は是認されるとしても、政策的に我が国は「専守防衛」を唱え、「敵基地攻撃能力の取得」を控えてきたのである。
岸田首相はこのような重大な政策の変更を何のためらいもなく決定した。
それを可能にしたのは、岸田首相の問題意識の欠如、厳しく言えば無知、信念なくただ流れに乗るだけの人であったからであろう。
このような岸田首相と比較して、決して是認するものではなく、その危険性を全面的に批判するものではあるが、彼なりの信念を持って憲法9条に対してきたのが故安倍元首相である。
彼は信念を持ってこの問題に長く対処してきたがゆえに、憲法9条の彼にとっての根本的問題は憲法9条が集団的自衛権を容認しないという点にあるということを深く認識していた。
このため、新安保法制において「存立危機事態における集団的自衛権」という観念的構築物をでっち上げるとともに、自衛隊違憲という政治的には過去の遺物となった問題をよみがえらせ、「自衛隊明記」という異論の少ない課題をでっち上げて憲法9条を改正し、全面的な集団的自衛権の合憲状態を実現するという、からめ手からの戦略をひねり出したのである。
改めてこの戦略は許しがたいものだということを強調しつつ、岸田首相のチャランポランな政策決定に比べれば、よくよく考えられた、敵ながらさすがの作戦だという印象を禁じ得ない。
さて、本日新総裁、新首相が決定される。どちらになろうと危険人物であることに変わりがあるわけではないが、その人は安倍型の人であろうか、岸田型の人であろうか?