2024年9月17日

 

 明治期の大衆向けの新聞、小説などには、すべての漢字に振り仮名が付いている総ルビが一般的であったらしい。

 荷風の小説もその例外ではない。

 そのルビを振っていたのは、編集者など出版社側ではなく、荷風自らだったのではないかと筆者は推定している。

 ルビを振る前の原文の漢字が、振るべきルビを十分に考えて使われているとしか考えられない場合が多々あるからである。

 このため、荷風の小説中に、正しい読みとは言えないはずだが、個性豊かな、魅力ある、そして成程と思わせられるルビをいくつも見ることができる。

 以下に筆者が見つけたそれを紹介する。

 

(「あめりか物語」から)

真個に‐‐‐ほんとうに

幾何ましだか‐‐‐いくらましだか

黄泉‐‐‐あのよ

雀躍‐‐‐こおどり

突如‐‐‐いきなり

蕭然な‐‐‐しめやかな

 

(「すみだ川」から)

妙趣な‐‐‐おつな

寂とした‐‐‐しんとした

寧そ‐‐‐いっそ

 

(「女優ナナ」から)

劇場‐‐‐しばい

仇気なき‐‐‐あどけなき

 

(「大洪水」から)

孜々と‐‐‐せっせと

宛然‐‐‐まるで

敏捷い‐‐‐すばしっこい

 

(「ローン河のほとり」から)

私語‐‐‐ささめき

 

(「秋のちまた」から)

寂然として‐‐‐しんとして

気魂しい声‐‐‐けだだましいこえ

 

(「放蕩」から)

須臾にして‐‐‐しばらくにして

腹讐‐‐‐はらいせ

放捨かして‐‐‐うっちゃらかして

 

(「除夜」から)

原因のない‐‐‐いわれのない

 

(「祭の夜がたり」から)

知己‐‐‐ちかづき

 

(「巴里のわかれ」から)

急げに‐‐‐せわしげに

 

(「砂漠」から)

沈ち着きのない‐‐‐おちつきのない

 

 なお、ルビではないが、こんな例もあった。

 「ふらんす物語」中の「祭の夜がたり」(岩波書店「荷風全集第5巻」所収)に「瞿栗の花」という言葉があった。(p165)

 この文章は総ルビではなく、一部ルビで、この言葉にルビは振られていない。

 すなわち、当然にこれは分かるでしょうという前提でこの言葉が使われているように思えるのだ。

 しかし、2つの漢和辞典、またインターネットを調べてもこの花が何の花かを究めることができなかった。

 ふと、「罌粟(けし)」という字によく似ているということに気がついた。

 花は、夜を共にした怪しい女の形容として「その面影は‐‐‐のやうに濃く毒々しく」とされているので、「罌粟(けし)」としてもおかしくはない。

 校正漏れか、荷風の原稿間違いなのではなかろうか?