2024年8月3日
「荷風全集第3巻」(岩波書店)の付録「月報10(1993年3月)」にあの田辺聖子女史の「流離する貴種、荷風」という荷風評が掲載されている。
その主要点は題名にあるとおり、荷風が女性に対して対等の立場にあるのではなく、「貴種」として超越的に存在している(したがって、女性読者にとっては小説語り手に好意をいだくことができない。)というところにある。(荷風の「女性蔑視」はかねてより問題とされるところであり、その原因としてこれはこれで誠に鋭い指摘である。)
しかし、筆者が強き同感を持ったのは、「実際、荷風なんぞが、若い私に面白いわけはなかったろう、といまにして悟った(注:田辺聖子当時65歳)。荷風は年配の人間の親しむ作家なのだ。」というところである。
荷風はおそらくハイティーンのころから、社会への対応の仕方という意味で精神的に老人化していた人であり、世を捨てた心で世に対していた人であった。
荷風は、社会に対するに当たっての「無力感」「無用者感」、権威権力に対する「恐怖感」、「勇気のなさ」を、たぶん子供のころから抱いており、それが若年からの精神的老人化を招いたものと思われる。
(「末は博士か大臣か」という明治の、そして永井家の出世主義的風潮に対する荷風の強い批判的心情がどのように形成されたのか、また、「無力感」「無用者感」が生じる前提には、社会の理不尽に対する反発があるはずであり、社会の理不尽に対する反発の前提には弱者、貧者に対する憐憫があるはずだが、そのような荷風の憐憫の感情がどのように形成されたのか、とても興味のあるところであるが、残念ながら、それを論じる情報と能力に筆者は欠けている。
信奉するフランスの自然主義作家エミール・ゾラが、知識人としてドレフュス事件において戦ったように戦う勇気が自分にはないという自覚、大逆事件が荷風に与えたショックは荷風の成人後のことであり、これらのこと以前から荷風にはそのような心情があったと考えられる。)
一般には社会における一定の闘争の後に形成される老人的精神を若くして獲得したのが荷風、そしてその精神がもたらすところの身の処し方、「美」を実際に生き、かつ文学化したのが荷風だと考えられる。
田辺聖子女史の、若い者には面白くない、年配者の読むべきものとの指摘、誠にごもっともなのであり、筆者はまさにその実行者なのである。