2024年7月26日

 

 死刑廃止国は世界で108か国であり、10年間死刑を執行していない国を含めると144か国となる。

 OECD加盟国(先進38か国)では死刑存続国は日本とアメリカだけであり、そのアメリカでも23州において死刑が廃止されており、13州において10年間死刑が執行されていない。

 死刑存続という点において日本は極めて例外的な国ということができる。

 この日本の例外性は、世論調査における日本国民の約8割が死刑の存続を望んでおり、廃止すべきとする者は1割に満たないという、日本人の凶悪犯に対する処罰感情の強さが支えている。

 

 日本では死刑制度の存廃については「国民感情」が尊重されるべしというのが正論ととらえられている。

 このため、政治の世界に死刑廃止の動きはあるものの、なかなか本格化しない。

 

 筆者は死刑は廃止すべきであると考えている。

 「国民感情」を尊重すべきであるという議論はまちがっていると考えている。

 

 死刑制度の廃止は「感情」の問題ではない。

 死刑制度の廃止は、基本的人権の尊重の宣言というかたちで近代国家において採用された「ヒューマニズム」からの「論理的帰結」である。

 「ヒューマニズム」とは、絶対普遍の原則として人類によって決意・決断されたものであり、社会的契約ともいうべきものである。

 「ヒューマニズム」はその根拠を問うことは何人(なんびと)にも許されず、「問答無用」の大原則である。

 その絶対普遍の原則、社会的契約からの「論理的帰結」を感情によってくつがえすということは、「法治国家」の理念に反する。

 「法治国家」の理念に反するのみならず、契約という概念が通じない「非文明的国家」であることを意味する。

 残虐非道の凶悪犯に対する怨恨感情、処罰感情が激烈であっても、契約の存在によってそれを抑える、我慢するというのが文明国家国民の義務である。

 文明国政府が死刑制度の存廃を国民感情に任せるというのは誤りであって、国民の誤りを是正するというのが文明国政府の果たすべき役割である。

 「基本的価値観を共有する国々との同盟」というようなフレーズが政府首脳からしばしば発言されるが、「基本的人権の尊重」「法治国家(契約の順守)」という理念を軽視しておいて「よく言うよ!」の感を禁じ得ない。

 人類の決意・決断というものの重要性を日本国民はあらためて認識し直さなければならない。(それはいろいろな方面での新たなる出発ともなるであろう。)