2024年6月24日

 

 人間は集団を形成する、社会性を本来とする動物であることから、本能的に、自分の存在が集団にとって有用であり、有意味であるという認識を獲得しようとする。

しかし、その認識はいくつかの要因によって獲得を阻まれる。

 その1は、枠組の崩壊である。

 本人が有用、有意味であるはずであった枠組・体制が崩壊し、有用、有意味であるチャンスを奪われるのである。

 身分の喪失、資格・能力の無意味化がそれである。

 権力闘争における敗北、革命による支配階級から奴隷階級への転落、新技術の登場による身につけていた技術の陳腐化などがその極端な例であり、具体的には、菅原道真の左遷、「元和偃武(げんなえんぶ)」による武士のレーゾンデートルの喪失、またAIの発展による知識人階級のこれからの衰亡などがあげられる。

 その2は、本人の能力喪失である。

 老齢化、病気、事故等による能力喪失により有用、有意味な活動が不可能となるのである。

 もちろんそれは主観的なものであるが、この際は客観的に有用、有意味であることは意味をなさない。

 老齢化による能力喪失をはじめとして、多くの者にとってそれらは不可避的に訪れる。

 その3は、時代の無意味性の認識、あるいは人類社会の根本的無意味性の認識の形成である。

 薩長藩閥政治と浅薄な西欧化に対して明治の一部知識人が抱いた諦観がそれであり、また膨張宇宙論が明らかにした宇宙必滅、人類必滅という科学的事実がもたらす哲学的認識がそれである。

 

 人間は様々なルートをたどって無用、無意味という自覚に至り、人類始まって以来、それへの対処方法を獲得すべく悪戦苦闘してきた。

 文明というものの第1の構成要素は物的生存条件であるが、それに並ぶ、あるいはそれ以上の文明の構成要素は無用、無意味への対処方法であり、対処方法の1つは有用、有意味の自覚形成の手法の樹立(「○○教」「○○主義」の創出のたぐい)であり、もう1つの対処方法は無用、無意味の立場に立った上での身の処し方(老荘思想、ふざけ倒し、笑い飛ばし、ドラッグのたぐい)である。

 

 そして20世紀に至り、無用、無意味という自覚の要因のその3にあげた人類社会の根本的無意味性が、科学的事実としての人類必滅により人類に突きつけられ、これまでの文明の重要な構成要素である有用、有意味の自覚形成の手法ほとんどが砂上の楼閣、イリュージョンであることが明らかにされた。すなわち、科学によって、「無用」「無意味」という問題が特定の条件下におかれた不運な人間だけの問題にとどまらず、人類すべての共通普遍の問題となったのである。

 

 我らが経験している21世紀はこのような意味で人類史上初めての時代である。

 たぶんAIはその解決の補助はできても、解決を導き出すことは原理的にできない。

 幸運なことに、人類始まって以来の先人たちの無用、無意味からの脱出・解放の努力の膨大な蓄積が我々の前に在る。

 現代はその蓄積の上に立って、人類がその真の叡智を発揮すべき時代である。