2024年6月12日

 

 小池都知事が都知事選への立候補を宣言した。

 学歴詐称問題、神宮外苑再開発問題が彼女のマイナス要素として挙げられている。

 筆者としては、両問題は大した問題ではない。

 学歴詐称それ自体(それを糊塗するための対応も含まれるかもしれない。)は恥ずべきことではあるが、この事件の本質は、遊び半分でしたことが重大問題とされてしまったというようなことに過ぎないような気がする。「青春の一時期にエジプト・カイロでの特異な海外生活を体験」としておけばそれだけのことに過ぎなかったであろう。

 そして小池都知事の真の学歴がどうであろうと、そんなことを問題にするようであれば、それを問題にする人間の学歴主義をこそ問題にすべきであるようにも思われる。

 言うまでもなく、政治家はその出自、学歴ではなく、主義主張と実行力をもって評価されるべきものである。

 神宮外苑再開発問題に関しては、都民の共通財産を大手不動産企業の利潤追求の手にゆだねる、貴重な都心のみどり資源を台無しにする、裏には黒い霧がただよっているのではないかといった観点から批判されている。

 筆者もかつては神宮外苑をさまざま利用した者であり、その神宮外苑がまったく姿を変えてしまうというのは、残念至極である。しかし、それはノスタルジーからのものでしかなく、正当不当という観点からのものではない。

 批判者の中のかなりの部分に、そのようなノスタルジーからの批判、また神宮外苑を日常的に利用できるという恵まれた立場からのプチブル的批判、さらに大手不動産会社による地方自治体を巻き込んだ再開発といえばそこに疑惑がないはずがないという観念的な批判があるのではないだろうか。

 この問題について筆者は不勉強であり、印象的に問題をとらえているにすぎない。当事者からの御叱正は免れないところであろう。しかし、少なくとも問題が全都民的問題に展開しえていないということは事実ではないだろうか。

 

 さて、政治家小池百合子について筆者が忘れられないこと、そして皆さんにも覚えておいてほしい大事な問題は、次の2点である。

1 2017年9月小池新党(「希望の党」)が立ち上がり、当時の「民進党」(当時の代表は前原誠司)がそれに合流するとした時期に、参加する条件として、集団的自衛権を容認する新安保法制と憲法9条改正の賛成という踏み絵を参加希望者に課そうという、当時の人気の上に立った権力的な振る舞いが小池にあったということである。(結果、「民進党」は分裂。)

2 関東大震災における朝鮮人虐殺事件を小池は歴史的事実として認めず、慣例的に行われてきた朝鮮人犠牲者追悼式に際しての都知事の追悼文の提供を2017年以降かたくなに拒否し続けているということである。

 この2件が示しているのは、政治家小池百合子が故安倍晋三と軌を一にする憲法改正論者であり、歴史修正主義者であるということ、あるいは権力奪取のためにはそれらの勢力への限りなき従属を躊躇しない政治家だということである。

 直接的に都政に関わる要素は薄いとは考えられるが、このような偏向した政治家が都政の頂点に立つことは問題であり、我が国の平和主義への弊害は無視しえないと考えられる。

 小池批判はこれから様々な人々から様々な観点に立って展開されるであろうが、これまでの報道振りからすると、この点が忘れられてしまう恐れ無しとしない。

 小池百合子には都知事として絶対的に不適格な要素としてこの点があることを指摘しておきたい。