2024年6月3日

 

 下に掲げる理由により日本は徴兵制を採用すべきであると考える。

 外見的には勇ましいことを言いながら徴兵制の採用を堂々と提起する政党が無いことを情けなく思う。

 国民が嫌う政策を打ち出せないのであり、既成政党の本質が指導性に欠け、世論迎合的であることの証左だと思う。

 政治資金規正制度改革論議は「ねずみ一匹」で終わりそうだ。

 徴兵制の採用を提起するような責任ある政治家を生み出すために必要な政治資金制度如何という高次の観点が与野党ともになかった。

 そのことにより必然的に導かれた茶番ということだと思う。

 さて、徴兵制採用すべしとする理由である。

 

1 「ならず者国家」「自暴自棄(やけくそ)国家」といった非合理的判断をする国家の存在を否定できない現状においては、国防のための武力の保有、その不可欠の要素としての兵員の確保は不可避である。(注1)

 

2 不可避であるがゆえに止むを得ず保有される武力を行使する条件については、全国民的な、当事者意識に基づく真剣な議論のもとで厳格に決定されなければならない。(注2)

 

3 現行の兵員確保の方法たる自衛隊員の募集制では、一般国民にとっては自分たちが、あるいは自分たちの子どもや孫やパートナーが、兵士となるわけではないので、当事者意識が十分に形成されず、責任ある議論が展開されにくく、また意図的な宣伝工作の餌食となりやすい。

 

4 徴兵制は、自分たちを、あるいは自分たちの子どもや孫やパートナーを、殺し、殺されるという非情の立場に置くことになる。

 

5 このため、徴兵制は、いかなる場合に殺すのか、いかなる場合に殺されてもやむを得ないとするのか、すなわち国としての武力行使発動の条件について、切羽詰まったギリギリの議論を国民に促すことになる。

 

6 止むを得ず保有する武力の行使の条件について、全国民的な、当事者意識に基づく真剣な議論を確保するために最適な制度は、徴兵制である。(注3)

 

7 なお、志願制は、結局は兵士を金で釣るという制度に帰着し、兵士となる選択を事実上貧困層に迫り、富裕層には非情の存在となるリスクを免れさせる究極の差別政策である。このような露骨な差別を国家が制度として有することは許されがたいことと言わねばならない。

 

8 非人間的立場に身を置かなければならないというリスクを国民が差別なく、平等に負うためには、徴兵制でなければならない。

 

(注1)国家間紛争は交渉で平和的に解決すべきであるという考え方は、それが原則という意味で正しい。「殺すな」「暴力によって奪うな、威嚇するな」も、もちろん同様に正しい。そのために軍備の縮小廃絶、ナショナリズムの克服、国家の廃絶が目指されなければならない。しかし、確率が低いからといって原発にしかるべき耐震構造を確保すること、しかるべき防潮堤を築く必要がないとは言えないのと同様に、現状においては国家として武力の保有は避けられない。

 

(注2)安倍内閣のもとでの「(限定的)集団的自衛権の容認」、岸田内閣のもとでの「敵基地攻撃能力保有の決定(日本の保有武力への抑止力概念の導入)」、とりわけ後者は、国民的な議論を回避しようという姿勢のもとで決定に至ったものであり、国民的議論という意味ではまった不十分である。形式はともかく実質的には非民主主義的な政策決定であったと非難されなければならない。

 

(注3)言うまでもなく、理の当然として、武力行使の条件について現状のままで徴兵制を採用するわけにはいかない。武力行使の条件の再検討と徴兵制の採用はセットでなければならない。