2024年5月17日
多くの自治体が消滅すると予想されている。消滅を回避するための努力が当該自治体に促されている。自治体同士の競争が促されている。消滅に至る自治体は努力不足であり、自己責任とされる。結果として多くの自治体が消滅するのは必至である。
ローカル線が、営業係数とかいう狭い区間における採算性によって裁かれ、どんどん廃止され続けている。この論理は、道路をはじめとする公共施設の維持についても適用されるだろう。広い範囲の国土の可住性、利用可能性がどんどん失われることになる。
これらのことによって事実上アクセスできなくなる国土は、他国の領土になるわけではもちろんないが、領土を失うこととほぼ同じではないか。
福島原発事故で利用可能性を著しく低下させた福島県の土地をそのまま放置することも、失われた領土の回復努力を行わないことと同じではないか。
対外的問題を有する領土問題のみが領土問題と認識されている。
政治的興奮が煽られ、その維持確保のための多大の犠牲は厭われることなく、国の存亡を賭けた軍事的対応が準備されている。
一方で、上記のようなケセラ・セラ(Whatever will be, will be.)の国土の放棄がある。
このアンバランスに異常性を感じない我々の脳の回路はどこか狂わされて居はしまいか?
国家は破綻せんとする時、ロシア・ロマノフ王朝におけるアラスカ売却に見られるように、戦争を伴わなくても、領土を放棄することがある。
我が国の現在の事態は、その徐々たる進行と捉えるべきものなのかもしれない。