2024年5月13日
かつて産業化が進んでおらず、人々が身分と仕事に制約された狭い社会の中でだけ生きていたころ、その狭い社会で自分の果たすべき役割は、意識せずとも自ずと明らかであり、他者に比べて理不尽に劣位であったとしても、それは選択のしようのない宿命であって、ただ受け容れるほかはない与件、前提であった。
自分の果たすべき役割の変更、そのことによる優位な立場への転換という発想は、基本的には生じることはなかった。
その狭い社会の外側に、その狭い社会のありようを規定する広い社会があることはつゆ知らず、その広い社会に働きかけるという発想が生じる余地の生まれるはずはなかった。
そのような時代においては、一般庶民の間で「無用人」という意識が生じることはなく、「無用人」という意識は権力者、支配者階級における敗北者において発生する特殊な意識であった。
そのような意識として、日本文学史上に名を残すのが、日本武尊、有馬皇子、菅原道真、在原業平といったことになる。
突如、現代を考える。
自分を取り巻く社会で様々な序列化された生き方が他者によって展開されており、その多くがアプローチ可能なものであることが、子ども時代から生涯にわたって叩き込まれる。
地球上で発生している数多の悲劇が日常的に飛び込んできて、自分が実はその悲劇と無関係ではないことがあらゆる情報源から知らしめられる。
このような現代においては、決して権力者、支配者ではない一般庶民においても、「為しうるにもかかわらず為しえない」という「無用人」という意識が、その現実性如何にかかわらず、自虐的に形成される。
そして、このような「無用人」という意識がマスとして形成された時代として江戸時代がある。
江戸時代とは、「元和偃武(げんなえんぶ)」(元和元年大坂夏の陣を最後に戦乱が止んで太平の世になったこと)によって武士階級に生じたアイデンティティ崩壊の時代であった。
このアイデンティティ崩壊という状況をいかに生きこなすかという問題意識のもとで花開いた文化が江戸文化であった。一語で表わせば「粋」の文化であった。
この江戸文化は明治に至って、薩長藩閥政治、浅薄な欧化主義に反発する旧幕府御家人の一部に引き継がれることになった。
すなわち、成島柳北であり、鴎外にその要素があり、永井荷風がその正嫡である。
今日、広く江戸文化が再認識され、荷風への憧憬の強まりが見られる。その背景にはたぶん、「無用人」という意識の一般化があるのだろう。