2024年4月8日

 

 マスコミは自民党組織的裏金作り問題の次の焦点は政治資金規正法の改正であるかのごとく報道しているが、笑止千万である。

 政治資金規正法の改正が重要な政治課題であると報じるのは、組織的裏金作りの問題の深刻性を隠蔽するために実態の解明を切り上げてしまおうとする自民党の作戦に乗るだけのものである。

 野党もそれなりの思惑があるので、政治資金規正法の改正に前向きの姿勢を示しているが、それを額面どおり受けとめるべきではない。(野党は自民党の金権体質を公然化すれば目的達成であり、政治資金規正法の改正それ自体はどうなろうとかまわないはずだ。)

 政治資金規正法の改正はほとんど無意味であって、それをめぐる議論は茶番でしかない。

 

 政治資金規正法の精神は、政治資金の収支を透明化するということにある。そのことによって違法な政治活動、すなわち選挙買収、口利き、贈収賄等を規制するとともに、政治活動を公的活動と位置づけて政党交付金の支給、政治資金の非課税という政治資金の特別優遇措置を講じることを制度的に支えるものである。

 しかし、一方で、自由な政治活動を保証する必要があるという名目で完全な透明化は好ましくないという立場がある。

 政治資金規正法はこの立場からの透明化阻止の圧力と法の精神たる透明化との妥協によって作られている。

 岸田首相が政党交付金から支出される政策活動費の透明化に一貫して消極的答弁を繰り返していることに象徴されるように、この構造はまったく変化していないし、変化しそうもない。

 したがって、政治資金規正法の改正が行われたとしても、透明化と非透明化との妥協点の位置に変化は生じるであろうが、非透明部分という「穴」が設けられないということは有り得ないことである。

 そしてさらに、税理に詳しい方ならば先刻御承知のように、専門の、第三者的、厳格な取締り機関がないかぎり、収支の透明化の完全を期すことは絶対不可能と考えなければならない。

 すなわち、政治資金規正法の改正によって透明化と非透明化との妥協点の位置が多少変化したとしても、我が国の政治制度に及ぼす影響はほとんど無いと考えるのが現実的なのである。

 そして、我が国の政治制度をより良くしていくためには、政治資金規正法の改正よりも、政治家という者に対する国民の冷静客観的な認識を育成するほうがよほど意味があるのである。

 すなわち、政治家とはかなりの割合(筆者の当てずっぽうでは自民党議員の過半)で、使途を明らかにする必要のない資金を求めるものであり、それによって票田を培養するとともに私的にも流用するものである、という認識である。

 「浜の真砂は尽きるとも」という現実認識が的確な対応方法を生むのである。

 政治資金規正法の改正をめぐる論議は時間と労力のムダと断言する。

 国民の正しい認識を醸成するために、今回の事件の実態をさらにさらに解明することが、我が国の民主主義にとってフルーツフルである。