2024年4月6日

 

 犯罪というものは、被害者の側に立って認定されるものである。

 殺された場合、殴られた場合、差別された場合、ハラスメントを受けた場合、いずれも加害者の意図の有無にかかわらず、正当防衛を例外として、被害者が被害を受ければ犯罪である。

 もちろん、その犯罪に対してどのような罰を加えるかは、加害者の意図(犯意)の有無によって変わってくる。

 一般的には加害の意図がある場合のほうが重罰となる。

 殺された場合、そこに殺意があったか、死に至ることを十分に予想しつつ加害に及んだか(いわゆる未必の故意)、傷害を与えるつもりが結果として死をもたらしたか(傷害致死)、過失によって死をもたらしたか(過失致死)、それによって加えられる罰は順に重くなってくる。

 逆に加害の意図がなく、無自覚のまま罪を犯したほうが、与えるべき罰の軽重は別として、問題として深刻な場合がある。

 差別の場合がこれに該当する。(ハラスメントの場合も同様である。)

 差別の意識がない差別的言動は、加害者の差別意識がそれだけ加害者に根深く体質化しているということを示している。

 身分制度が当然であった時代、民族差別が当然であった時代、差別は社会に組み込まれており、客観的には現代の眼から見れば差別が蔓延していたが、当時の差別者側は特段の差別意識はないまま差別を実行していたのである。

 加害者における封建的意識の残存が無自覚な差別、そしてハラスメントを呼ぶのである。

 

 川勝知事は差別発言をしたことについて、それを取り消し、撤回をしたが、その弁明において差別するつもりはなかった、仕事の違いを語ったにすぎない、誤解を受けたというような弁明をしている。

 犯意の不在をもって弁明となると川勝知事は思っているのだ。

 しかし問題の本質は、仕事の違いを「頭脳、知性」というような雑駁な表現で語ることにストップがかからないという川勝知事の精神にあるのだ。

 軽率にも差別発言をしてしまうということは、川勝知事の精神に深く差別意識が刷り込まれているということなのだ。

 犯意の不在は弁明になるどころか、川勝知事にあるより深刻な問題の存在を現わしているのだ。

 川勝知事は学者出身であり、話題性のある仮説を提唱した人であったと記憶するが、教養の欠如、専門バカ性を感じさせられる。

(以上は世間で問題になっているリニア新幹線の問題その他の川勝知事の言動に示唆を与える意図のものではまったく無いことを付言しておく。)