2024年3月28日
山本一太群馬県知事のことである。
かつては清新な政治家というイメージであった。
テレビの討論番組に出演し、雄弁家であり議論できる政治家であることをアピールしていた。
安倍派のスポークスマンという役割を果たしながらも清新なイメージは維持されていた。
その前歴(ジョージタウン大学大学院国際政治学修士課程修了、国際協力事業団職員、国連開発計画NY本部出向、外務副大臣)からも、ドブ板政治家とは違う、国際感覚のある政治家と見られていた。
群馬県の政治地図による結果であろう、参院から衆院への鞍替えならず、県知事に転身した。
その時点でもまだ若々しく、県知事の後の政治家としての生き方を考えている、すなわち中央政界への復帰を展望している政治家とも見られていた。
しかし、残念ながら、報道からすると、山本知事は腐ってしまった。
群馬県には「朝鮮人追悼碑問題」という問題があった。
太平洋戦争時、群馬県内には多数の朝鮮人労働者が送り込まれ、奴隷的取扱いにより多くの犠牲者が出ている。争いようのない歴史的事実である。
このことに対して市民団体が県立公園内に県の許可を得て朝鮮人追悼碑を建てた。
事実を認めたがらない歴史修正主義グループがこれに反発し、県に設置許可の取り消し、追悼碑の撤去を求めた。
県は、追悼碑の場所で「政治的行為はしない」という許可条件に違反したとして設置許可の更新を拒否し、本年1月に至って代執行により追悼碑の撤去を強行したのである。
県の一連の対応を主導したのは山本知事であった。
慰安婦問題、徴用工問題の解決の基礎には、日本の帝国主義的植民地支配への反省がなければならない。
その反省が十分に示されず、かえってそれに逆行する言動がしばしばなされることが問題の根本的解決を妨げている。
群馬県の朝鮮人追悼碑は、そういう中で貴重な意義を有すると考えるべきものだ。群馬県民の客観的、良心的歴史判断を示すものだ。
それにもかかわらず、外交的感覚にも優れているはずの山本知事は、もっぱら歴史修正主義者グループの要求を是認する立場で行動したのである。
本日(28日(木))の朝日朝刊によれば、追悼碑強制撤去の工事の直前にあった韓国大使館からの面談申込みに山本知事は応じず、そのこと自体の存在を否定し続けているらしい。
推測するに、山本知事には、その外交的感覚からの彼自身の判断は別にあり得たにもかかわらず、国内事情から、あるいはもっと低次元の事情から、歴史修正主義グループからの要求を受け入れたのである。
政治家として知恵の出しようは十分にあったにもかかわらず、その能力は備わっていたにもかかわらず、山本知事はその力をまったく発揮しようとせず、気の毒なことに、最悪の選択を重ねているのだ。
わかっている本人がいちばん悲しいのではないだろうか。