2023年10月13日
政府が旧統一教会の法人解散命令を裁判所に請求したことを大いに歓迎する。
旧統一教会は旧道徳的・反共政治団体であり、詐欺・脅迫による庶民からの金銭収奪団体であり、法的保護の対象とすべき法人とはまったく考えられないからである。
筆者は、岸田首相を基本的にダメな指導者と考えているが、今回の解散命令請求の政治判断については、大変に立派であったと評価している。
1つには、旧統一教会に刑事法違反が認定された事実がなく、民法の不法行為を根拠として解散命令を請求するはじめての事案である等の法令上の困難性があったからであり、もう1つは、岸元首相以来現在にまで及ぶ自民党と旧統一教会の深い政治的親密関係があったからであり、これを乗り越えたのは岸田首相の決断であったと考えるからだ。
安倍元首相が生きていれば、この解散命令請求は絶対になかったであろう。
また、安倍元首相と世界観を共有している議員を多数擁している安倍派の健在を考えれば、岸田首相に政治的リスクがなかったとはいえないだろう。
岸田首相は世論の奈辺にあるかを的確に見極めたと言える。
旧統一教会の悪行非道を具体的に考えた場合には、「罰」が与えられることになって、本当に良かったと思っている。
しかし、一方で、「宗教の自由」一般を考えた場合、旧統一教会つぶしの論理が果たして適当なものであるのかどうか、慎重に考える必要があると思う。
というのは、宗教にとって、それが反社会性をはらむのは、現世とは別の秩序を考える宗教の本質に基づくと考えざるをえないからであり、その反社会性をもって、その宗教を否定するということになれば、「宗教の自由」を事実上否定するに等しいからである。
実際、過去において、邪淫、隔離、収奪、狂信、無為等を理由として宗教が世間の非難を浴び、世の中から消されている。
そして、理由とされた邪淫、隔離、収奪、狂信、無為等は、こちら側からの理屈であって、宗教の立場からは決してそうではない場合が多くあったと思われる。
3大宗教たるキリスト教、イスラム教、仏教は、いずれもその創成期においては、そのような反社会的存在であった。
これからの人類の未来を考えた場合、現在の人類の行き詰まりを打破する道は、現在の目から見れば反社会的なものであり、宗教的色彩をまとって登場してくる可能性も少なからずある、と考えておくべきだろう。
旧統一教会のこのたびの取扱いが、その可能性を閉ざすことにならないか。
目先の都合だけで、時の政権が、安易に宗教を弾圧することができるような道を開くことにならないか。
裁判所の解散命令に記載されるであろう説明文は、今後の宗教法人解散命令のルールとなる規範性をもつ。
解散命令を妥当と思いつつ、そこに国民的関心がもっと向けられる必要があると考えるのである。