2023年10月10日
ジャニーズ事件において解決されなければならない課題は、2つないし3つだと思うのだが、事態の推移をみていると、別の不健全な要素が事件の周辺に付け加わっているように思う。
解決されなければならない課題とは、1つが補償を含む被害者の救済、もう1つが同種事件の再発防止である。
事件を知りながら、見て見ぬふりをしていたマスメディアをはじめとする周辺の、結果的にはジャニー喜多川の犯罪を助長していた人々の問題を、単なる同種事件の再発防止とは別次元のこととし、この問題への対応を1つの単独の課題とすれば、課題は3つということになる。
いずれも、そう簡単な課題ではないと思われるが、この2つないし3つが課題であり、その他の要素は排除されなければならないということが、事件への対応に当たって、明確に認識されていなければならない。
というのは、冒頭書いたように、これらの課題に加えて、別の不健全な要素が少なくとも2つ、事件に加わっているように思えるからである。
1つは、本件にスキャンダラスな臭いをかいで、下品な欲望を刺激された「のぞき見趣味」「暴露趣味」である。
もう1つは、みずからは正義の立場に立っているという安心感から、かさにかかって、「権威」「偶像」を徹底的に攻撃し、日ごろの憤懣の発散・欲求不満の解消を図ろうとする、「見せしめ感情」「加罰感情」による「ギロチン志向」「私刑(リンチ)志向」である。
これらの存在に敏感なマスメディアは、これら卑しい、低俗で幼稚な要求に、待ってましたとばかりに腕まくりしている。
これらの要求は、解決されなければならない課題があるわけではなく、ただ「快感」を求めているだけである。
このため、飽きが来るまで、ひたすらに卑しい、低俗で幼稚な雰囲気が、社会全体にただよい続け、不愉快なことはなはだしい。
このような要素を排除するのは実はむずかしい。これらの要求が、本来的課題の解決のためだという仮面をつねにかぶっているからである。
これらの要求の跳梁跋扈をどれだけ許しているのか、ということが、その社会の未成熟度、幼児性を表わしていると考えられる。
われわれの社会は、恥ずかしいことに、大人の社会でないことを日々暴露しているわけだ。
みずからの態度に不健全な、卑しい、低俗で幼稚なものがないかを自省し、マスメディアに無用のメッセージを与えないように注意する必要がある