2013年10月9日
ネタニヤフ政権の失態と言わざるをえない。
イスラエルは24時間、365日警戒態勢でなければならない状態だったはずだ。
それにもかかわらず、700人以上の死者、2千人を超える負傷者、そして多数の兵士、一般市民の人質を出してしまった。
多数のスパイの配置、最新の電子機器を利用した諜報活動の網の目をかいくぐって、大規模攻撃を一時的なものにせよ成功させたハマス側の巧妙があったとはいえ、イスラエル側の油断・手抜かりは否めない。
この油断・根抜かりの背景には、軍事力の絶対的優位のもとで、ハマス側からの本格的な攻撃はありえないとの思い込みがイスラエル側にあったとしか思えない。
その思い込みは、明らかな軍事的敗北の道を選択するはずがないという、ハマス側の「合理性」を前提にした判断から発生したものにちがいない。
しかし、窮鼠は猫を噛むのであり、猫を噛むとき、窮鼠は「合理性」を失っているのだ。
失われた「合理性」のもとでは、軍事力の圧倒的優位=抑止力もその機能を発揮できないのだ。
ネズミと対峙する猫は、ネズミを窮鼠にしてはいけないのであり、ネズミが「合理性」を保持するだけの余地は与えておかなければならないのだ。
ネタニヤフ政権はその対パレスティナ強硬路線によって、その存在自体がネズミを窮鼠にする性格をもつ政権であった。
サウディアラビアとイスラエルの接近といった要素もあったとはいえ、ネタニヤフ政権であるかぎり先行きにいささかの希望もないとハマス側は「窮(きわ)まった」のであったろう。
そういう意味では、今回の事態は、ネタニヤフに政権をもたらしたイスラエル国民の選択の誤りの帰結とも考えられる。
窮鼠の候補生を近辺に有する我が国としては、以って他山の石とすべきものと考えられる。