2023年9月26日

 

 生成AIがどこまで人間に近づけるか、あるいは人間を超えられるか、というような議論が盛んのようである。

 25日(月)朝日朝刊では生成AIが「感情」をもつことができるか・できないかという記事が1面トップとなっていた。

 これについては、「感情」を定義することなく議論することは、混乱を呼ぶだけで、無駄なことだと思う。

 「感情」を定義し、少なくとも「感情」が最終的にはアウトプットされるものとの内容が盛り込まれれば、生成AIが感情を持つことはむずかしいことではないと思う。

 人間には何らかの神秘性があることを信じたい向きには、「感情」もその神秘性の重要な要素としたいところであろう。

 しかし、「感情」に関わるインプットとアウトプットの関係の単純さからいって、「感情」はそんなに立派なものではない、と思われる。

 「感情」は一見、個人差が大きく、多様であるようではあるが、機械の対象となりやすい、かなりワンパターンというのが実際のところだろう。

 

 さて、AIが本質的に人間並みになれない点はどこにあるだろうか?それともないだろうか?

 「大脳機械論」の立場に立てば、すなわち「心身二元論」「霊魂実在論」の立場に立たず、「肉体一元論」の立場に立てば、AIは原理的に人間並みになれそうだが、どうだろうか?

 

 AIは「バカ」になれるか?

 「感情」の場合と同じように、「バカ」の定義に最終的にアウトプットされるものとの内容が盛り込まれれば、「バカ」のプログラムを組んで、AIは「バカ」になる(「バカ」を演じる)ことができるであろう。

 

 AIは「バカ」になるべき時と「オリコウ」になるべき時を判断し、「バカ」と「オリコウ」を使い分けることができるだろうか?

 これは「べき時」の判断指標を明確にしておけば、まったくむずかしいことではないだろう。

 

 AIは会話の相手によって、それを使い分けることができるだろうか?

 人間も会話の相手についてのデータに基づいて使い分けをしている。AIにも相手のデータをインプットしておけば、使い分けは人間と同様にできるであろう。

 

 チャットGPTとの会話で次のような質問をしてみた。

 チャットGPTはめずらしく、人間のようにはできませんとの謙虚な答えだった。

 これがAIが代替できない限界だとすると、ここらへんに人間の本質があるということにもなってくるのだが‐‐‐、さて、どうだろう?

(参考:「言語の本質」(中公新書))

 

(質問)

「とんでもない思い付きのことを「水平思考」と呼んだりしますが、AIは「水平思考」をすることができますか?」

(質問外の注:例えば、なまずを地震の原因とする発想、イグ・ノーベル賞を受賞した減塩スプーン、減塩箸というアイデア。)

 

(ChatGPTの答え)

「「水平思考」という用語は、通常、既存の枠組みや慣習から外れ、創造的で斬新なアイデアや解決策を見つけるために、従来の方法やパターンから逸脱する思考プロセスを指すことがあります。このような思考スタイルは、新しい視点やアプローチを提供し、問題解決やイノベーションに貢献することがあります。

 

AIは一般的に、大量のデータからパターンを抽出し、既存の知識やトレンドに基づいて問題を解決する能力に優れています。しかし、AIには創造的な思考や水平思考の能力が限定的であると言えます。AIはデータから学習し、既存の知識を利用してタスクを遂行しますが、それが新しいアイデアやアプローチを生み出すことは難しい場合があります。

 

一部のAIシステムは、既存のデータから類似性を見つけたり、パターンを組み合わせたりして新しいアイデアを提案することがありますが、それは既知の情報に基づいたものであり、本格的な水平思考とは異なります。創造性や斬新さは、人間の思考プロセスに特有の特性であり、AIにはまだそのような創造的な思考を完全に模倣する能力がありません。

 

したがって、AIは情報を分析し、既知の知識を活用することに長けていますが、水平思考のような創造的な発想には人間の創造力や洞察が不可欠です。」