2023年9月25日

 

 昨日(9月24日(日))の大相撲9月場所千秋楽・優勝決定戦における貴景勝の、若手平幕熱海富士に対する、卑怯な立ち合いの変化への非難は、世間に充ち充ちている。

 したがって、屋上屋を重ねる必要はないとも考えられるが、貴景勝をやっつけないと心がおさまらないので書く。

 

 相撲協会に対して、仮に今後、貴景勝が横綱昇進の一般的基準を充たすことがあっても、横綱昇進は認めないことにしてほしい。

 横綱審議会においてあらかじめ決定し、それを公表し、貴景勝に伝えてほしい。

 貴景勝がそれで平気でいられるわけがない。そう、それは事実上の貴景勝に対する引退勧告である。

 

 世間には「庶民性善説」というのがある。

 もちろん、庶民が善人であるということは事実ではない。

 しかし、悪をなすのは政治家、経済人、頭のいい奴、根っからの悪人などの計算高い者たちであって、単純に生きる自分たち庶民は、そういう悪人ではない、という希望的信仰が庶民にはある。

 そして、ふんどしいっちょで、ただただ強さのみを名誉と心得て、その事だけに人生をかける相撲取りの生き方の、その単純さに人々は「性善」を見ている。そこに人々は「あこがれ」を感じる。

 貴景勝は、そのはずの相撲取りが、切羽詰まると簡単に、人の道に反するような卑しいことをしでかしてしまうという悲しい現実を、われわれに見せつけたことになる。

 その現実は、われわれ自身の悲しい現実でもある。

 今後、貴景勝が現われるたびに、われわれは、われわれ自身の悲しい現実を突きつけられることになるのである。

 国技館に掲げられる優勝力士の額を見るたびに、嫌な優勝決定戦を思い出さされることになる。

 「卑怯なことをやって、えらそうな顔をするな」という怒りと不快がすぐに生じてしまう。

 愛すべき大相撲の娯楽性が根本的に奪われることになってしまったのである。

 

 相撲取りの私生活上の非行とはレベルが全然違う。

 八百長よりも罪が重い。

 卑怯が卑怯の自己認識なく、いつわりの冠(かんむり)を受けたからである。

 今回の事態は、反省ぐらいで償(つぐな)われない!

 (これだけ書いたら、少し心が落ち着いた。)