2023年9月4日

 

 岸田内閣の目玉政策のひとつとなっている子育て対策の財源として、増税は行わないと明言されており、社会保険料が最有力候補となっているようだ。

 内閣法制局はこれを決して許してはならない。

 財政論としてではなく(注1参照)、法令に使われることばを最終的に管理監督する立場から、内閣法制局はこれを許してはならないのである。

 

 「保険」とは、不幸にも「険」に遭遇してしまった人々の不時の出費に充てるべく、多数の人々の拠出により資金を形成しておく仕組みである。

 社会保険料を出産、子育て対策に充てるということは、法令上、出産、子育てが不幸なる「険」ということになってしまう。(注2参照)

 本来、こども家庭庁がこの「筋違い」に絶対反対すべきであるが、本件についてこども家庭庁はむしろ提案者側であり、当初から問題意識が欠如している。

 はなはだしき法令上の乱れを正すには内閣法制局に期待するほかはない。

 

 現政権には日本語を大切にしなければならないという精神は期待できない。

 日本語を大切にしないで、何の子育て対策か、と言いたい。

 子育ての基本中の基本とは、ことばの学習であると言ってもよい。(注3参照)

 彼らの世界は学習されたことばによってかたちづくられる。

 ことばは文化そのものであり、何よりも大切な民族の相続財産である。

 そのことばを政府の一時の金繰りのために乱すようなことは決して認められない。

 内閣法制局の真価が問われる。

 

 (注1)

 財源論としては、国債によるよりは、社会保険料によるという議論のほうが妥当である。

 子育て対策により経済成長が期待されるので、国債償還財源は生み出されるという議論は、根拠が乏しく、かつ、経済成長のための出産、子育て奨励ということになり不健全である。

 (注2)

 内閣法制局はそうならないように法の外見を整えるであろう。

 そのために法令上の無理をするであろう。

 新安保法制において、集団的自衛権の行使に道を開くため、「存立危機事態」というあいまいな概念をでっち上げて、我が国の平和安全法制、ひいては我が国の法治主義に深刻な傷をつけた前科が想起される。

(注3)

 ことばの学習は一生継続される。

 そして、一生、ことばによって世界は改変され続ける。

 その基礎が子育て期間中のことばの学習によって作られる。