2023年9月2日

 

 8月30日(水)の記者会見で松野官房長官は、「政府として調査したかぎり、事実関係を把握することのできる記録が見あたらない。」と述べ、31日(木)にはその事実を認める「中央防災会議」の報告書があることについて、「当該記述は有識者が執筆したものであり、政府の見解を示したものではない。」と弁明した。

 「中央防災会議」は災害対策基本法に基づいて設置された組織であり、会長は内閣総理大臣、全大臣が委員となっていて、事務局は内閣府に置かれている、れっきとした政府機関である。

 その「中央防災会議」の報告書においてすらその事実が記載されるに至っていて、事実の有無について争いがあるとは思えない震災時の朝鮮人虐殺について、政府はなぜそのようなナンセンスな態度をとるのであろうか?

 この件に関しては、これまでにも再三再四国会で取り上げられ、質問主意書も発出されているが、政府の態度は今回の松野官房長官の答弁のラインで一貫している。

 また、小池東京都知事も、この件については、冷たい、頑なな態度をとり続けている。

 

 損害賠償請求となることを回避しようというケチな根性とは、いくらなんでも考えられない。

 事件加害者、すなわち虐殺者は、当時の一般庶民であり、時効が成立しているとはいえ、事件を究明していけば、自分たちの爺さん婆さんが殺人者だったという事態を招くことになる。それがイヤなのであろうか?それを嫌い、恐れる都民、県民がいるのだろうか?

 一族の加害事実を彼らが把握しているとは思えないので、これもちょっと考えがたい。

 流言飛語発生について公的機関が関与していたというような隠された事実があるのだろうか?

 合理的理由を見出せないと、無用の勘繰りまで起こさせてしまう。

 

 南京大虐殺についてもそうだが、皇軍皇民性善説、皇軍皇民無謬論のような非科学的な立場に立つ人々が世の中にいる。

 対中国、対韓国・北朝鮮となると一挙に合理主義的精神を喪失してしまう人々がいる。

 政府自体がそうだとは考えにくい。政府はそのような人々から圧力を受けているのだろうか?

 合理的で、民主主義的でなければならないはずの我が政府が、時に垣間見せる非近代的な、暗い、まがまがしい、病的な要素がここにある。