2023年8月24日
(以下は、まったくの素人の不勉強な議論である。専門家は一笑に付す議論であろう。
しかし、素人にはこのような理解が生じてしまうというのが現実である。)
「知覚された現象」を認識し、理解し、整理するために、人間によって考え出された手段~幾何の証明に使われる補助線のようなもの~が「次元」なのではないか?
たとえば、直交座標軸(上下、左右、前後)は実在ではない。この場合、「実在ではない」という意味は、人間が考え出したものであって、「知覚される現象」ではないという意味である。
そういう意味では時間軸(過去、現在、未来)もまた実在ではないと考えられる。
したがって、さらに、直交座標軸に時間軸を加えた4次元もまた実在ではなく、「知覚された現象」を認識し、理解し、整理するための手段、すなわち補助線のようなものということになる。
さて、そのようなものとして4次元を考えた場合、4次元目を「時間」とすること、あるいは「時間」と名づけることは適当であろうか?
このことの適不適は、対象とする「知覚された現象」に依存することになる。当該「知覚された現象」を認識し、理解し、整理することがそれによって補助されるのであれば「適」であり、妨げれば「不適」ということになる。
「知覚された現象」とは運動する物体における「時間の遅れ」である。
(アインシュタインの思考の実際の流れはこのようなものではなかったようである。本論は頭の体操として考えたものである。)
「時間の遅れ」は「空間の歪み」によって生じる。
「空間の歪み」は「空間」に加えられる「力」によって生じる。
この「力」は運動による「加速度」によって生じる。(「重力」はどのように言えばいいのであろうか?)
「加速度」を表すのに、「時間」(「時間の矢」といわれる過去、現在、未来という一方向に進むとされる「時間」)を指標とするのは違うのではなかろうか?
学問の世界でいわれている「4次元の世界」の4次元目の「時間」とは、しろうとが考える「時間の矢」の「時間」とは違う概念の「時間」なのだろうか?
もしそうであるならば、「時間」という「ことば」に代わる、適当な「ことば」があっていいのではなかろうか?
(専門家のわかりやすい説明を期待したい。)