2023年8月12日
「馬鹿は死ななきゃ、なおらない」、この命題の起源を知りたい。
教養のある人は、これが浪花節の世界、永遠の名調子・広沢虎造師「清水次郎長伝」における「森の石松」についてのセリフであることを知っている。
「森の石松」は、その浪花節を聞けば聞くほど、ほんとに馬鹿で、ついに殺されてしまう。
さて、知りたいのは浪花節での採用の前である。虎造師はこのセリフをどこから仕入れてきたのか、ということである。
おそらく、どこかのお坊さんが、このセリフを語っていたのにちがいない、と思う。
このセリフは仏教の本質に迫る重大な命題だからである。
しかも、千数百年にわたる仏教の深刻な論争に関わる、重要な命題だからである。
釈迦(ゴータマ・シッダールタ)が、紀元前7~5世紀ごろ、「十二支縁起」を悟り、仏教が始まったとされている。
「十二支縁起」とは、「無明」から始まって「老死」で終わる12段階の因果関係(=縁起)のことである。
(「十二支縁起」とそれぞれの「支」の意味については文末に掲げる。)
問題は釈迦が悟ったのは「十二支縁起」をいかなるものとして悟ったのかということである。
その解釈によって、仏教の内容は、ひとつの宗教とはいえないくらい、2つに分かれる。
2~3世紀に始まった龍樹(ナーガルジュナ)を祖師とする「中観派」、4世紀に始まった弥勒(マイトレーヤ)を祖師とし無著(アサンガ)世親(ヴァスバンドゥ)を代表とする「瑜伽行派(唯識派)」が、その2つの流れを象徴し、両派の間で論争が続けられてきた。現在でもその論争は続いている。
論争を追うことは筆者の能力をはるかに超える。
しかし、論争の根本的な原因がここら辺にあるのではないかという「勘」が筆者に湧いてきた。
その「勘」に大いに関わることばが「馬鹿は死ななきゃ、なおらない」なのである。
「十二支縁起」の第1番目、すなわち縁起を順々に引き起こしていく第1因として挙げられているのが「無明」である。
「無明」とは「馬鹿」ということである。
「十二支縁起」とは、人間は「馬鹿」だから、諸々のありもしない、すなわち「空」である、迷妄に惑わされ、苦悩しないではいられない、ということを示すものである。
これを釈迦が悟ったというのだが、2つの理解が可能だ。
1つは、「馬鹿」をやめて「おりこう」になれば、迷妄に惑わされることはなくなり、苦悩から解放される、と釈迦が悟ったという理解だ。
もう1つは、人間というものは「馬鹿」でしかありえず、したがって迷妄から脱することはできず、苦悩から解放されることはない、と釈迦が悟ったという理解だ。
前者の立場に立てば、「馬鹿」から「おりこう」になるように、こういう修行しましょう、こういう努力しましょう、厳しい修行が必要ですよ(小乗仏教)、いや一般大衆も「おりこう」になれますよ(大乗仏教)、というようなことになる。
大乗仏教の立場からこの立場に立つのが「瑜伽行派(唯識派)」ということになる。
「一切衆生悉有仏性」ということばがその精神を象徴する。「衆生(大衆)」は皆、「仏性」(「おりこう」になる可能性)をもっているという意味だ。
「如来蔵思想」とも呼ばれる。「如来」(悟った人、すなわち「おりこう」な人)となる可能性をもっているという意味である。
迷妄(=「空」)ではない世界の存在、「仏性」の存在、すなわち「空」ならぬ「実在」を想定するものである。
一方、後者の立場に立てば、人間である以上、「十二支縁起」に示された「縁起」から脱することはありえない、「十二支縁起」で生きていくのが人間というものだ、ということになる。
そこから生ずるのは、人間に生まれたことによる諦念と、同じ運命にある人々に対する「同病相憐れむ」気持ち、「平等」「慈悲」の気持ちである。
そして「空」でない世界の存在、「仏性」の存在を考えることこそ迷妄であるとして、すべては「空」と考える。「一切皆空」である。「実在」の全面的否認である。
「中観派」はこのような立場に立ち、この流れを汲む人々は、今日の日本の仏教がほとんど前者の立場に立ってしまっていて、のんべんだらりと楽天的なことに対して、釈迦の「十二支縁起」の悟りに反する仏教の堕落だと非難するのである。
「馬鹿は死ななきゃ、なおらない」を、森の石松についてだけでなく、人間一般に考え、人間にとっての「実在」の絶対的非存在を考えるのが「中観派」である。
一方、森の石松は致し方ないにしても、みなさんは「馬鹿」を克服して「おりこう」になれます、そしてさらに楽天的に、「おりこう」になることになっています、と考え、人間が「実在」を経験することを可能と考えるのが「瑜伽行派(唯識派)」である。
(参考)【十二支縁起】
無明―行―識―名色―六処―触―受―愛―取―有―生―老死
(筆者が加えた「無明」の「馬鹿」を除き、各支の説明はウイキペディアからのひき写しである。)
1 無明:馬鹿、無知。過去世の無始の煩悩。煩悩の根本が無明なので代表名とした。明るくないこと。迷いの中にいること。
2 行 :生活作用、潜在的形成力、志向作用。物事がそのようになる力=業
3 識 :識別作用。好き嫌い、選別、差別の元
4 名色:物質現象(肉体)と精神現象(心)。物質的現象世界。名称と形態。実際の形と、その名前。
5 六処:六つの感受機能、感覚器官。眼耳鼻舌身意の6感官。六入(ろくにゅう)ともいう。
6 触 :六つの感覚器官に、それぞれの感受対象が触れること。外界との接触。
7 受 :感受作用。六処、触による感受。
8 愛 :渇愛、妄執。
9 取 :執着。
10有 :存在。生存。
11生 :生まれること。
12老死:老いと死。