2023年7月22日

 

 本稿はある読書についてのものであるが、標記『神秘主義思想、その合理性』はその書名ではない。

 読んだのは『場所と産霊 近代日本思想史』(注:「産霊」は「むすび」と読む。)であり、著者は安藤礼二(1967生)である。

 この書名はコマーシャリズムの観点からすると、その世界の外の読者を呼び込まないという弱点がある。

 「場所」とは西田幾多郎の「場所」であり、「産霊」とは折口信夫の「産霊」である。

 その方面の勉強をしている人にはわかるだろうが、そうでない人には書名から内容がまったく推測不能である。

 その問題を克服するための書名変更案の1つが、内容を推測させるであろう、標記の『神秘主義思想、その合理性』である。

 コマーシャリズムの逸脱を犯せば『合理性が導くオカルティズム』というような書名も考えられる。

 

 以下は、この「場所と産霊」を読んでの筆者の思いつきである。「場所と産霊」に以下が書かれているわけではない。

 まず、前提として、我々の世界は言語によって世界たりえているという「『言語世界=世界』世界観」(本通信1648、1653では「言語ゲーム世界観」としたのだが、誤解されやすいので「『言語世界=世界』世界観」という言葉を使う。仏教での「唯識」とはそのような考え方ではなかろうか。)を正解と考える。

 「言語世界=世界」と考え、この等式の前項である「言語世界」のほうに「能動性」「独立性」があると考えると、後項の「世界」は前項の「言語世界」に規定されるということになる。

 すなわち、「世界」は、必然視、絶対視される日常的経験世界には限定されない、科学的探究の対象となる世界には限定されない、ということになる。

 「言語世界」の展開により「世界」はいくらでも変容することになるのである。

 おそらく発生的には、先ずは日常的経験世界が人類に「言語」をもたらしたのであろうが、「言語」はその自律運動(ひとり歩き)により、日常的経験世界による限定から脱出・飛躍して、新たなる「言語世界」を創出するパワーを獲得した、と考えられるのである。(注:この「ひとり歩き」は人間の何らかの要素に起因すると考えるほかない。その要素に人間に内在する「超越性」「神性」といったものを見出す宗教的な見解もありうるであろう。)、

 すなわち、言語は「超越性」(時空を超えて物事を語ることが可能である性質)、「生産性」(それまでには無い、新たな文、単語を作り出す性質)という性質を有している(「言語の本質」(中公新書)参照)。それによって「言語」は日常的経験世界を超えてしまうことができる。そして自らが生み出した新たなる「言語世界」をも超えてしまうことできる。言語は、人間が描くことができるあらゆる非日常的世界、幻想的世界、神秘的世界を「世界」とすることを可能にするのである。

 「言語」は「言語世界」の日々の絶えざる構築によって、「無限の多様性」を「世界」に産み出す根源的要素なのである。

 日常的経験世界は「言語世界」であって「世界」である。それと全く同等に、様々な非日常的世界、幻想的世界、神秘的世界も「言語世界」であって「世界」であるはずだ。

 「神秘主義思想」はそのように自己正統性を主張する。

 「神秘主義思想」のこの主張に対して、「『言語世界=世界』世界観」の前提の下で、合理性による反論の余地があるようには思えない。

 そして、「『言語世界=世界』世界観」は、思想・哲学の世界で、ほぼ常識となっていると考えられる。

 「神秘主義思想」は非合理的外見とは大いに異なり、合理性に基づく思索から導かれるものであったのである。

 

 このことに気づいた鋭敏な優れた人びとが、ここに結集し、一大相関図、「神秘主義思想」の「曼荼羅」を形成することになる。

 独自の言語世界の構築、すなわち新世界の創造、に挑む若き天才的文学者たち、キリスト教の非合理性を克服する道を求めていたキリスト者、西洋哲学の限界からの脱出を図る欧米哲学者、東洋思想の今日性をそこに見出すことになる日本の宗教家‐‐‐‐。そして、1893年、コロンブスのアメリカ到着400年記念としてシカゴで開催された「コロンビア万国博覧会」とそこでの「万国宗教会議」において、東西はその一層緊密な連携を深めることになる。

 その「曼荼羅」の豪華絢爛たる様子は本書「場所と産霊」に譲るほかはない。

 そこに登場する人物たちの一部の名前を挙げることで、読者の関心を刺激しておくこととして、本稿は閉じることとする。

 

 鈴木大拙、西田幾多郎、南方熊楠、折口信夫、柳田国男、大川周明

 エドガー・アラン・ポー、ボードレール、アルチュール・ランボー、マラルメ、イェイツ

 プラグマティスト(ジェイムズ、パース)、ユニテリアニズム(エマソン、ホイットマン)

(登場する人物はさらに多彩である。)