2023年5月6日

 

 ちょっとやっつけました。

 

(問)西田幾多郎の言葉に「絶対矛盾的自己同一」があります。何と何が矛盾しているのですか?

 

(ChatGPT)

西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」という概念は、矛盾する要素を含みながらも、それらを超越して自己を確立することができる存在のあり方を表現しています。

これは、西田幾多郎が提唱する「真理の矛盾」という考え方に基づいています。つまり、矛盾する要素が存在すること自体が真理であり、それを受け止めることで自己を確立できるということです。

例えば、私たちは「善」と「悪」という相反する概念を持っていますが、実際には「善」と「悪」が互いに依存し合っていることがあります。善を追求することが悪を生むこともあるし、逆に悪を受け止めることが善を生むこともある。このような矛盾を受け止めることで、私たちは自己を確立していくことができるというわけです。

つまり、「絶対矛盾的自己同一」とは、相反する要素を含みながらも、それらを超越して自己を確立できる存在のあり方を表現した概念であると言えます。

 

(問)矛盾するのが何と何かは特定されていないということですか?またなぜ「矛盾」に「絶対」という形容がついているのですか?

 

(ChatGPT)

はい、西田幾多郎が提唱する「絶対矛盾的自己同一」では、矛盾する要素が具体的に何であるかは特定されていません。それは、矛盾する要素は人それぞれ異なるため、特定のものに限定できないからです。西田幾多郎は、この矛盾する要素が何であるかを特定することよりも、矛盾すること自体が自己の確立につながるという考え方を重視しました。

「絶対矛盾的自己同一」における「絶対」という形容詞は、相対的な矛盾ではなく、絶対的な矛盾を意味しています。つまり、矛盾する要素が完全に排除されることがないとしても、自己はそれでも確立することができるということです。これは、西田幾多郎が提唱する「真理の矛盾」という考え方にも通じます。

西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」は、人間の存在の根源的なあり方を表現しています。私たちは、自己を確立するために矛盾する要素と向き合い、それを受け止めることで成長し、変化していくことができるということです。

 

(問)「絶対的な矛盾」と「相対的な矛盾」はどこが違いますか?何か具体例はないですか?

 

(ChatGPT)

「絶対的な矛盾」と「相対的な矛盾」の違いは、矛盾がどの程度重大であるかによって異なります。

「絶対的な矛盾」とは、2つの対立する要素が完全に排除し合っており、どちらか一方を選ぶことができない状態のことを指します。例えば、「生きること」と「死ぬこと」は絶対的な矛盾であり、どちらか一方を選ぶことはできません。このような絶対的な矛盾は、人間の存在の本質的な問いとして、哲学や宗教などで深く探求されてきました。

一方、「相対的な矛盾」とは、2つの対立する要素が存在するが、両方を受け止めることができる状態のことを指します。例えば、「善」と「悪」は相対的な矛盾であり、どちらか一方を選ぶこともできますが、実際には「善」と「悪」が互いに依存し合っていることがあります。このような相対的な矛盾は、私たちの日常生活や社会の中でよく見られます。

また、「真理の矛盾」という考え方では、矛盾する要素が相対的な矛盾でも、それを受け止めることで新しい真理が生まれると考えられています。つまり、相対的な矛盾も絶対的な矛盾に変化する可能性があるということです。

 

(問)まさに西田幾多郎の世界で「生死一如」といって生死を矛盾と捉えない考え方があるのではないですか?

 

(ChatGPT)

はい、その通りです。「生死一如」という言葉は、西田幾多郎が提唱する「絶対矛盾的自己同一」の考え方の一つであり、生と死が対立するものではなく、一体不二のものであるという考え方を表しています。

西田幾多郎は、「生死一如」という言葉を用いて、生と死を対立するものではなく、人生の過程の中で絶えず変化し、相互に依存するものであると考えました。そのため、生と死を捉えることで人間は自己を確立し、自己の存在意義を見出すことができるという考え方を展開しています。

「絶対矛盾的自己同一」や「生死一如」などの西田幾多郎の考え方は、人間存在の根源的な問いに対する哲学的な解答として、多くの人々に影響を与えてきました。

 

(問)お答えでは生死を絶対的矛盾と言い、一体不二とも言っています。どちらが正しいのですか?

 

(ChatGPT)

失礼いたしました。私の回答が誤解を与えるものであった場合、申し訳ありません。

ご指摘の通り、「生死一如」という言葉は、西田幾多郎の考え方の一つであり、生と死が対立するものではなく、一体不二のものであるという考え方を表しています。

一方、「絶対矛盾的自己同一」という言葉は、西田幾多郎が提唱する別の考え方であり、相反する2つの要素が同一のものであるという考え方を表しています。

つまり、私の回答において、「生死を絶対的矛盾と言い」と表現したことは、不適切な表現であり、正しくは「生死は絶対矛盾ではなく、一体不二であるという西田幾多郎の考え方がある」と表現するべきでした。

お詫び申し上げます。