2023年4月11日

 

「群像5月号」「新潮5月号」等に掲載された大江健三郎追悼文の中で印象に残った文章を抜粋、掲載します。

 

 「大江健三郎がすべてを変えた。無知蒙昧な映画専門学校生に大江はとんでもない錯覚をあたえ、ただちに頭を入れかえろとけしかけてきた。‐‐‐‐‐‐のめりこまずにはいられないというほどの読書体験をもつ人間からすればきっとめずらしい話ではないはずだが、ここ(注:『空の怪物アグイー』収録の「不満足」)にはおれのことが書かれていると思ってしまったのだ。」(群像5月号・阿部和重)

 

 「最後に遺訓ならぬ遺勲を称えよう。いずれも「向こう側」(注:フィクションの世界)の住人だけれど、アメリカ人の研究者ローズさん、国際的な映画女優のサクラさん、前衛的な舞台女優のウナイコのほか、長江古義人(注:大江健三郎本人をモデルにしたと思われる小説上の作家)の家族、つまりしっかり者の妻・千樫、フェミニストの妹・アサさん、父の権威に抵抗する娘・真木、故郷の伝承を受けつぐ老いた母親と死んだ祖母‐‐女たちが存分に輝いている小説を「こちら側」に遺してくれた美しい怪物に、深甚な感謝の挨拶を送りたい。」(群像5月号・工藤庸子)

 

 「弱者との共生、近づく戦争の気配‐‐女たちが一斉に、真剣に、大江の小説と評論を読み始めたら、世の中も変わる!と思います。」(同上)

 

 「話題は大学のクラスの同窓会のことになった。大江氏によれば、文学への興味や関心の高い者ばかりが集まるせいか、その中では成功者といえる大江氏への風当たりがかなり強く、不快な覚えを与えられる機会が少なくない、という。」(群像5月号・黒井千次)

 

 「地方から東京に出て来て、都会暮しをしながら自分の根のある土地や人々を描いた文学者は数多くいるけれど、大江健三郎氏の場合は、あのあたりに何か特別なものが潜んでいるようにも感じられる。それが自然や風土というより、何やら理念的なものであるような印象も与えられる。」(同上)

 

 「幅広い博読・精読で知られる大江氏は、なにしろ「何年かごとにドストエフスキーの全集をすべて読み直している」(しかも邦訳だけでなく、英訳や仏訳も参照しながら)というのだから、その読みの深さにはただならぬものがあり、‐‐‐‐」(群像5月号・沼野充義)

 

 「『宙返り』だけでなく、すべての大江作品において、大江氏は宗教的なものに没入することなく、小説のアイロニカルな知の領域に踏みとどまった。だからこそ彼は小説家。しかも人並はずれて優れた小説家なのだ。」(同上)

 

 「結局のところ、学生時代から私が大江健三郎に対して抱いてきた「光輝く精神の果物屋」というイメージは、「神なきドストエフスキー」というべき彼の小説家としての「人生の習慣」によって支えられるものだったのだ。」(同上)

 

 「「若いときの大きい読者を失なった」という実感を大江自身が漠とながら感じていたことだけは間違いなかろうと思う。にもかかわらず、失ったはずの「大きい読者」に代わって、いまでは女性の読者が目に見えて増え始めているという現実を、大江は漠然とながらでも感じとっていはしなかったか。」(群像5月号・蓮實重彦)

 

 「『万延元年のフットボール』は誤りなくそういう地点を目指して書かれていた。おそらく――傑作にはよくあることだが――作者自身の思惑を超えて、そういう地点を目指していたのである。分かりやすくいえばそれはマルクス主義か民俗学かという図式であり、ここでは民俗学は自分を未知のものと捉える視点のことと思えばいい。つまり伝統である。」(群像5月号・三浦雅士)

 

 「大江健三郎は、戦後日本と現代人の苦悩をその身に引き受けた作家だったーーその通りだ。」(新潮5月号・尾崎真理子)

 

 「古井由吉のように生涯、米国に対して一切の言及すらしなかった陰の反米主義者もいる。」(新潮5月号・島田雅彦)

 

 「晩年の古井由吉さんは、必ずしも大江さんの「後期の仕事」を高く評価していなかったが、それでも、大江さんのことは悪く言えない、と仰っていた。自分たちの世代が引き受けるべきことを、全部、一人で引き受けていたから、と。」(新潮5月号・平野啓一郎)

 

 「古井さんと以前、大江さんの話になり、古井さんは大江さんのことを、敬意を込めて「常に注目される状況で、ずっと小説を書き続けてきた人」というように仰っていた。慮るように「苦しいことですよ」とも。」(新潮5月号・中村文則)