2023年4月10日

 

 少数民族問題、すなわち国境と民族配置が整合しておらず、国土を地域的に分断するかたちで複数の民族が居住していることに起因する格差、差別、弾圧、紛争の問題である。

 (先住民族問題は伝統的社会、伝統的文化の保護という観点が強く、重なる面もあるが、問題の性格を異にする。)

 少数民族の保護を理由とする外部からの経済的、政治的、軍事的介入も発生する。

 それが紛争の本質の場合もあるし、介入の名目として利用されている場合もある。

 いずれにしても、現代の戦争のほとんどがその背景に少数民族問題をもっている。

 この問題は世界中で戦争の火種であり、グローバル・サウスのさらなる経済成長のもとでこの問題が各地で火を噴きだしたら世界は現在にもまして収拾のつかない状態になる。

 これからの世界平和の確保の観点から、人道に反する対処を禁止するとともに、対応の一般的方法をルール化して、世界が共有する必要がある。

 それは民族規模、国家規模での悲惨の発生を阻止するうえで、核拡散の防止と同水準の緊要性を有する。

 

 問題の深刻さは認識され、共有されていると考えられる。

 しかし、問題への対処の多くは国内問題との位置づけによって国ごとにゆだねられている。

 難民の発生等により問題が国際化した時点ではじめて、我々は事件としてそれを知ることになる。

 一般的な対応ルールの策定に向けた国際的な取り組みがなされているのを聞いたことがない。

 

 第1次世界大戦後の戦後処理にあたって、課題として意識されていたことが認められる。

 国際連盟を構築するにあたって、敗戦国ドイツから少数民族問題を解決するための国家主権の制限の必要性が問題提起されていたのである。

 複雑な戦後処理のなかでの問題提起であり、交渉テクニック上の問題提起とも考えられるが、その問題が課題としてとして意識されていたことは否定できない。

 しかし、国家主権への制限をともなわざるを得ないという問題の性格から、本気で取り組む推進主体を世界は持つことができなかった。

 そして問題は紛争が発生するたびに個別事案として関心を呼ぶにとどまり、国家主権の制限を含む一般的な解決ルールへの努力は放棄されたままのように見える。

 

 世界平和、地球環境等々の問題への対処のために国家主権に制限を加えていくことは、今や国際法秩序の趨勢となっているといえる。

 戦争の悲惨を訴え、人々の良心を呼び起そうという反戦平和運動の努力は貴重なものではあるが、そこにとどまっていては少数民族問題は放置されているに等しい。

 火種をなくす努力がなされなければ、反戦平和運動の努力は中途半端で、むなしい。

 平和主義を掲げる我が国は、世界平和のための最重要課題の一つとして、本件についての国際的なルール作りに取り組むべきことを、国連の場で提起すべきである。

 国際社会からその主体性に疑問を持たれがちであり、また国力の限界、下り坂から影響力の低下が必至の我が国にとって、貴重な国際貢献の分野ではなかろうか。