2023年3月25日
かつて「神代文字」というものがあった。
「あった」という意味には二重の意味がある。
漢字が伝わる以前に日本には固有の文字があった、という意味の「あった」と、
「漢字が伝わる以前に日本には固有の文字があった」という虚構のために捏造された「神代文字」があった、という意味の「あった」である。
前者の「あった」は否定されており、後者の「あった」が歴史的事実である。
手元に絹地に表装された「神代文字」の一覧の写真があり、「五十音訂正図」と題されている。(「訂正」は、誤りを正すではなく、正しく定めるという意味ではないかと思われる。)
「神代文字」は、5つの母音と9つの子音と1つの母音のままを表す〇、□、㇕、㇗、∩、∪のような単純な図形の組み合わせでできている。
横軸に「あいうえお」、縦軸に「あかさたな」を置いている。
縦軸の最後が「わ行」ではなく「ら行」となっていること、「ん」がないこと、がふつうの「あいうえお」の表とちがっている。「濁音」「半濁音」もない。
ローマ字とおなじ構造であり、表音文字である。
この写真は「別冊太陽 平田篤胤」(平凡社2004年)に掲載されている(P95)。
「幕末の情報ターミナル~中津川宿平田門人の活躍と中津川資料群(仁科吉介・NPO法人中津川中山道歴史文化研究会)」という記事の中にあり、「五十音訂正図」は中津川資料群の中のものと考えてよいだろう。
すなわち、「神代文字」は、島崎藤村「夜明け前」の青山半蔵の世界、幕末の中山道沿道の豪商豪農の間で広まった尊王攘夷思想・平田国学の世界において流布していたものと考えられる。
写真の解説には、「平田篤胤は、『上古には日本固有の文字があり、それを神代文字という』と『古史徴』に書く。」とある。
ウルトラ国粋主義の平田国学(明治初期の廃仏毀釈を極端に推進したのも平田国学であった)においては、漢字渡来以前の日本が無文字社会であったということが、無文字社会は非文明社会であるという理解のもとで、許しがたかったのであろう。
そのため、「神代文字」を自ら作り上げたか、すでに作られていた「神代文字」を積極的に活用して、歴史の捏造を図ったと考えられる。
民族の優秀性という無根拠に寄りかかる国粋主義とっては、民族は超歴史的に、すなわち時間を超えて、優秀でなくてはならないという理屈を無理にでも貫徹しなければならなくなる。
その陥穽に自らを追い込んで、後から容易に露見する愚行を犯してしまうことになる。
その悲しき象徴として「神代文字」があるのであった。
歴史に疎い、人類を知らない、無用のコンプレックスだったというほかはない。
民族の無謬性という無根拠もまた同じ。