2023年3月18日
このたびの日韓首脳会談における岸田首相の対応を見て、岸田首相評価に断を下すことにした。
すなわち、勇気のない人、度量のない人、大局が見えない人、である。
岸田首相のその情けなさによって今回の日韓の和解は画竜点睛を欠くことになった。
日本は多くのものを失った可能性がある。
徴用工問題の処理についてはそれを3つに分けることができる。
その1は、日韓請求権協定の解釈である。
その2は、日本企業に対して韓国大法院によって科された賠償を韓国法人が肩代わりするという事実上の決着を図る方法である。
その3は、その2の解決を側面から支える、植民地支配とそれに伴ってひき起こされた数々の不法行為に対する日本側の謝罪と反省のあらためての表明である。
その1に関しては、協定締結に伴って作成された「不公表合意議事録」(すでに公表されている)その他の関連文書の解釈の仕方によっては韓国大法院の考え方が成立する余地はある。
すなわち、日韓請求権協定が対象とする請求権は戦争や植民地支配に対する賠償ではなく、民事的、または財政的なものに限られていたとする解釈であり、戦争や植民地支配によってなされた不法行為に対する賠償請求権は協定によって消滅してはいないという考え方である。
一方、日韓の協定締結当事者たちは、日韓請求権協定をいわゆる戦時賠償としての性格を事実上有するものと理解していたという考え方も自然なものであり、その立場に立った今回の日本外務省の対応の妥当性を否定することはできない。
その2に関しては、韓国の世論を考えれば屈辱外交という非難を免れない解決方法であり、その大きな政治的リスクを覚悟の上でユン大統領は政治的決断をしたのである。
協定それ自体の解釈について上記のような状態にある中で、事実上の決着を図るには政治決断による妥協しか方法はなく、それが大きな政治的リスクのもとで韓国側からなされたことについて、日本側は大いにそれを多としなければならない立場にある。
このような事情を考えれば、その3に関しては日本側としては最大の譲歩を示してもよい分野であったはずである。
しかし、岸田首相は「歴代内閣の立場を全体として引き継いでいる」という、木で鼻をくくったような、抽象的な言い方しかしなかった。
一部報道では韓国側からもう少し踏み込んだ発言をしてほしいとの要求があったにもかかわらず、それを拒んだようである。
歴代内閣の過去の表明をそのまま繰り返すというだけでも意味があったはずだが、それさえも譲らなかったのである。
これは外務省事務方が判断するような事柄ではない。
植民地支配を肯定する右側勢力からの批判に対する岸田首相の過剰な忖度がなさしめたものにちがいない。
岸田首相の勇気のなさ、度量の不足、そしてそれを克服するだけの大局観のなさがこの結果をもたらしたのである。
話がわからない、狭い了見しかもたない、こちらの立場を理解してくれない、共に大局を語り合える相手ではない、そういう評価が岸田首相に対してだけでなく、日本全体に対してなされることとなる。
日韓関係はこのまま勢いがついて正常化に向かい、岸田首相の体たらくが流れの中で消え去ってしまう可能性がないわけではない。
それを大いに期待したいところだが、日韓の間には小骨が多く残っており、いつでもそれが問題化する危険をはらんでいる。
その時、今回両国の和解に踏み切った韓国側の親日部分までにも岸田首相が悪感情を残したことによるマイナスは、日韓関係全体に対して決して小さくはない。
日韓問題に関してのみならず、岸田首相のこれからに対しては、勇気のない人、度量のない人、大局観がない人として見ていく必要がある。
すでにそれに気づいていた方もおられるだろうが、筆者は今回の一連の事態で、それをつくづく知らしめられた。