2023年3月13日

 

 フェミニズム啓蒙書・上野千鶴子著「女ぎらい」に次のようにあった。

 「騎士道恋愛は、同じ女性を崇拝の対象とすることをつうじて、騎士団というホモソーシャルな絆を維持するためのしかけとして機能することを中世史家のジョルジュ・デュビィは明らかにする。」(p292)

 (ここで「ホモソーシャル」とは、男性だけによって構成され、仲間意識をその紐帯とする、非性的な社会集団のことであり、女性差別の基礎をなす「ミソジニー(女性嫌悪)」をはぐくむ社会的存在として「女ぎらい」でキーワードとなっている。)

 

 かねてより「騎士道恋愛」については、そのロマンティックと思われる男女関係に魅力を感じさせられる一方、そんな不自然な、いかにも直ちに刃傷沙汰を発生させると思われる、特異な形態の恋愛が中世ヨーロッパでいったいどんなふうに存在していたのか、おおいに疑問に思っていた。

 すなわち、「騎士道恋愛」とは、騎士にみられたという恋愛形態であり、身分の高い女性、例えば騎士がその部下であるところの君主・領主・王侯貴族の夫人、つまり貴婦人への崇拝を基礎に、既婚であることなどを問題とせずになされたとされる恋愛である。  

 ドイツ語では「ミンネ(Minne)」といい、仏語、英語では「Amour courtois」「Courtly Love」で「宮廷風恋愛」などとも訳されている。

 しかし、これまで「騎士道恋愛」に関する社会科学系、人文科学系の解説書にお目にかかることはなく、その実態について何も知ることなく、ただ既婚の年上の貴婦人に対する崇拝を伴う恋愛という文学上のイメージをそのままに受けとめ、放置していた。

 このたび「女ぎらい」のおかげでジョルジュ・デュビィという本件を取り扱っているらしい歴史学者の名を知ることができたので、早速その著書「中世の結婚~騎士・女性・司祭」(篠田勝英訳・新評論)を読んでみた。

 

 まず報告すべきは、「女ぎらい」にあった指摘「騎士道恋愛は、同じ女性を崇拝の対象とすることをつうじて、騎士団というホモソーシャルな絆を維持するためのしかけとして機能する」を内容とする記述をこの本では発見できなかったということである。

 「騎士道恋愛」については「宮廷風恋愛」という言葉で触れられており、「騎士道恋愛」が「宮廷風恋愛」と表現されているのは、その内容を「城内不倫」といった性格であることと捉えた結果であると思われる。

 それが「社会的現象」として一定程度存在していたようではあるが、この本からその広まりの程度を推測することは困難であった。

 また貴婦人に対する「崇拝」というようなことについてはまったく言及はなく、男性の婚外の性的な遊戯といった範疇のものと位置づけられているのであった。

 そして、それが騎士団というホモソーシャルの絆として機能するというような、「女ぎらい」にあった捉え方はまったく見られなかった。

 「女ぎらい」の指摘の基礎となったのはジョルジュ・デュビィの別の著作であったのかもしれない。

 あるいは、筆者の読みが浅薄に過ぎて、ジョルジュ・デュビィが示唆するところを読み取れていないのかもしれない。

 いずれにしても、ジョルジュ・デュビィの「中世の結婚~騎士・女性・司祭」を尊重するかぎりでは、「騎士道恋愛」は称揚されるような、ロマンティックで美的なものとは考えられないのであった。

 

 ジョルジュ・デュビィの「中世の結婚~騎士・女性・司祭」のストーリーを私見を交えて略述すれば、次のようなものである。

 当時、「結婚」は「家系」及び「相続財産」を継承すべき子孫を得るための、すなわち生殖ためのものと割り切られており、さらには財産獲得、領地保全を目的とする政治的経済的なものであった。

 すなわち「家の制度」であって「個人の制度」ではなく、当事者個人の意志が介入する余地のないものであった。

 要するに、王侯貴族、騎士の世界の「結婚」はすべてが「政略結婚」的なものであった。

 (個人の選択を前提とする「恋愛」は、当時、事実としてはあったかもしれないが、概念としては、少なくとも「結婚」という制度に結びつくような概念としては、そもそも無かったと考えるべきかもしれない。)

 そして、女性に対する差別は、今日のイスラム原理主義とほとんど同レベルで、きわめて甚だしく、女性は「結婚」に必要な道具、手段としてしか評価されていない状態だった。

 そのような「愛なき結婚」(=家の制度としての、女性を物的手段化した結婚)が当然のことと受けとめられている中で、重婚、近親婚、勝手な気ままな離婚、略奪、誘拐、など、教会の立場からすれば許容しがたい慣習にある王族貴族と、制度としての結婚を確立し、男女関係をその制度の枠内に収め、その制度内への聖職者の関与を確保しようとする教会勢力(女性の立場に立っていたわけではなく、差別意識は教会側も同じように保有されていた。)との攻防が展開されていた。

 この攻防が12世紀に至って、教会側が「結婚」への「聖性の付与」によって教会の関与の完璧を図る(「結婚」の宗教内への取込み)という戦略のもとで、「結婚」の本質は両性の合意のみにある(=「結婚」の成立に当事者と神以外の要素を介在させない、神のみが当事者の「結婚」の成立を保証する)という理論的整理を行い(あくまで理論的整理であり、実際は名目的、形式的に合意があればよしとされていたようで、女性の物的手段化に変わりはなかったようだ。)、それが王侯貴族側の受け入れるところとなり、両者の妥協成立ということになるのである。(このことが「結婚」の原点となり、その後ルネッサンスによるヒューマニズムの展開→個人尊重思想の確立→「両性の合意」という理念の実質化となって今日につながっている。)

 

 「騎士道恋愛」あるいは「宮廷風恋愛」とは、それまで単なる婚外逸脱の遊戯に過ぎなかったものが、「「結婚」の本質は当事者の両性の合意のみにある」という教会側の理論的整理の一般化により、「共同体」あるいは「家」のものであった「結婚」が名目上ではあるが「個人」のものとなったということを背景にして、一部の限定的な評価を得るとともに文学の題材ともなって美化されるようになったものと考えることができる。

 かくして、「騎士道恋愛」というひとつのロマンティックな、理想的な男女関係がヨーロッパ中世に実在したという夢想は、これを否定せざるを得ないという結論に至るのである。

 

 さて、しかし、歴史的事実から離れれば、「騎士道恋愛」を、男女関係の中での存在を否定しがたい女性崇拝という要素を重視した理念型として、その存続を考えることはできるのではないだろうか、その理念を救済しうるのではないだろうか。

 文学の題材としてはありえたということからして、これについては肯定的に考えてよさそうである。