2023年2月25日

 

 まだ読み終えていないのだが、読書中に驚くべき指摘に遭遇したので、それを報告することとしたい。

 ことは、フロイトによって発見されたとされる、そしてユング、ラカンといったビッグネームによって展開され、現代の精神分析においても継承されている「無意識」、それはいったい何かということである。

 「無意識」は、我々の日常的な、表層的な意識に対して、意識されることのない、しかし我々の人格をなしているものであり、「深層意識」とも呼ばれている。

 仏教の世界では「阿頼耶識」「末那識」と名づけられて、その存在が考えられている。

 

 その「無意識」についてずばりとその実在を否定し、その拠って来たるところについての解釈が書かれていたのは、竹田青嗣著「欲望論 第2巻「価値」の原理論」(講談社・2017年)である。(353頁)

(注)以下の引用文中のむずかしい単語はそれぞれ次のように理解して読めばいいのではないかと思う。

「幻想的身体」「感受的身体」:「私の世界」を現われさせる前提となる感受(アンテナ)と記憶(メモリー)の装置としての身体。

「発生的形成性それ自体」:発生し、徐々に形成されていくという進行形的な性質。

「価値審級」:善悪、美醜等それぞれ幅があり、程度差がある価値について、その価値のレベル。 

「初期的言語ゲーム」:乳幼児段階で行われる育児従事者(一般的には母親)と子どもとの言葉のやりとり。

「初期禁止」:乳幼児段階で育児従事者から発せられる行為禁止命令。

 

 以下がその文章である。

「もはや明らかだが、われわれの心的領域の最深部に「無意識」領域が存在するのではなく、われわれが「無意識」と呼んでいるものは、われわれの「幻想的身体」の体制にほかならず、あるいは感受的身体の発生的形成性それ自体にほかならない。」

 そして、この「幻想的身体」については、直前に次のとおり説明されている。

「人間的身体は単なる知覚感覚の座ではなく、人間の関係世界における状況的な意味の連鎖を一挙に感知し、同時に価値審級(倫理性、審美性)をも、一瞥のうちに把握する、感受的な身体としての「幻想的身体」である。人間の幻想的身体の体制は、母―子の初期的言語ゲームにおいてその発生的基礎をもち、その後の多様な人間的感情性、感受性形成の前提をなす。初期禁止を重要な契機とする「よい―わるい」の審級形成のみならず、「きれい―きたない」の審級もまた、その発生性の基盤を母―子の初期的言語ゲームのうちにもつ。」

 

 すなわち、乳幼児段階で母親との接触により発生した(学んだ、獲得した)、世界の有り様についての感じ(知恵)が、身体という情報処理装置にセットされ、それが基礎となり、その後の様々な経験によって、変化し、発展した結果としての情報処理装置(=身体)の情報処理振りが、「無意識」と名づけられているものであり、例えば、「善悪」「美醜」についての「無意識」の反応は乳幼児段階での「よい―わるい」「きれい―きたない」という母親からのメッセージ、母親とのやり取りを基礎として身体という情報処理装置にセットされているというのである。

 最近の「初期設定」という言葉を使えば、人間の身体は情報処理装置であり、その「初期設定」は乳幼児段階での母親との接触によってなされたものである、ということである。

 従来「無意識」の働きとされていた人間の不可解な言動も、乳幼児段階での母親との接触による「初期設定」を基礎とするということになる。

 

 本件の学問上の決着がどうなっているのか、そもそもどのぐらいの議論になっているのか、小生はまったく知識がない。

 しかし、その影響するところ極めて大と考えられる。

 その後の展開についての御教示があれば幸いである。