2023年1月3日
旧統一教会と自民党議員とのただならぬ癒着の問題を一般的な宗教と政治の問題に還元することはできない。
ギブアンドテイク、すなわち統一教会側にとっての政治家を利用しての信用性の獲得、政治家側にとっての選挙運動支援及びストレートな票の獲得というバランス、によって両者の関係を説明することは、今回の問題の本質に迫るものではない。
世の中では今、新しい男女関係、新しい家族関係が形成されつつある。
制度としては表向きには廃止されはしたが、根強く社会に残存していた「家父長制」が、いよいよ根こそぎ崩壊する時期を迎えている。
商品の家族生活内への全面的な浸透(家事労働の商品化)という資本主義の進展・深化によるもので、歴史的必然と考えるべき社会の不可逆的な変化である。
しかし、不可逆であるにもかかわらず、少なからぬ人々がこれを好ましからざるものと反発している。
筆者はこれを空しき抵抗の心情として、「家父長制ノスタルジー」と名づけている。
当人は「家父長制」など考えてもいないというかもしれないが、無自覚なだけで、内実を探れば「家父長制ノスタルジー」である。
「家父長制ノスタルジー」は男性のみならず、女性たちのあいだにも存在する。
この「家父長制ノスタルジー」の広範な存在を票田と認識しているのが、中央、地方の多くの、みずからも「家父長制ノスタルジー」を有している自民党議員である。
一方、旧統一教会については、旧時代的な性道徳、合同結婚式に至る特殊な恋愛観、養子縁組の奨励、先祖へのこだわり等が垣間見える。
垣間見えるところだけからではあるが、この統一教会の方向性が、社会で進行しつつある新しい男女関係、新しい家族関係の形成と「逆コース」であることは明らかである。
統一教会の教義からどのようにしてこの「逆コース」が導かれることになるのかは不勉強にして筆者は知らない。
しかし、「逆コース」は統一教会の活動の中核に位置するように見える。
統一教会と自民党とのただならぬ癒着は、この「逆コース」と「家父長制ノスタルジー」との一致から生じているものであり、これが問題の本質である。
問題はこの点から迫っていかなければならないはずだ。
マスコミが矮小なギブアンドテイクの側面しか報じずに、問題の本質から(たぶん意図的に)逃避しているのは誠に遺憾である。