2022年11月29日

 

 「ど近眼」というのは差別用語であろう。

 政府与党の間で論議されてきた防衛論に対し差別の目的をもって筆者はこの言葉を使う。

 年末に予定されている安保関連3文書の改定に向けて行われている防衛論のことだ。

 重大な問題をはらむその考え方が明らかになってきつつある。

 今回の防衛論が問題を生んだ原因は、「担当者レベルでの防衛論」ともいうべきその検討の枠組にある。

 すなわち、この論議には外交の専門家、憲法の専門家が参加しているとは思えない。

 さらに、防衛の専門家についても、防衛省の担当者レベルが参加しているにすぎず、基本的、本格的な戦略を考えている専門家が参加しているとは考えがたい。

 このため、我が国の叡智を結集して長期的視野で検討されるべきものであるにもかかわらず、論議が当面の事態に反応しているだけのものとなっている。

 我が国の防衛の基本的戦略を考えるという観点からすれば、粗雑で不真面目で、視野の狭い、矮小なものになっていると言わざるをえない。

 憤りを抑えがたく、「ど近眼」なる差別用語を呈することとなった次第である。

 

 彼らの論議は、敵国からのミサイル攻撃に対して迎撃によるミサイル防衛では不十分であるという認識に立っており、それへの対応に終始している。

(その背景に、中国の軍拡、ロシアのならず者国家化、北朝鮮の核ミサイル開発の進展があるが、それに加えて従来の日米間の役割分担への不信があることは隠されている。)

 「迎撃では不十分」への対応として第1に出てきたのが、発射前に敵のミサイル基地を叩くという事前敵基地攻撃である。(発射基地のみならず作戦中枢機能も加えるという議論になっている。)

 次に出てきたのが、敵国のミサイル攻撃の意図をくじくための抑止力の保有である。

 抑止力が登場してきた経緯を推測すると、事前敵基地攻撃が持つ国際法違反の先制攻撃イメージを緩和するため、そして先制攻撃イメージを強く忌避する公明党対策として、事前敵基地攻撃能力の保有は武力行使を意図するものではなく、あくまでも保有による抑止力を期待してのものだとの説明をしたことによって浮かび上がってきたものと思われる。

 意図せざるところから出てきた、事前敵基地攻撃能力保有論の副産物である。

 

 敵ミサイルが発射された場合、迎撃による防衛では不十分という認識は正しい。

 しかし、事前敵基地攻撃によるミサイル防衛でも不十分であり、問題が解消されるわけではない。

 ミサイル発射基地の分散、多様化、移動性、隠蔽の技術の進展に対して基地探索技術が追いついていないというのが現状であろう。

 アメリカもロシアも中国も、探索に懸命の努力を傾けているはずだが目的に達していない。

 後発・日本が満足できる能力を獲得できるようになるとは到底考えられない。

 事前敵基地攻撃は不十分な迎撃能力を補完するものではあろう。

 しかし、どれだけの補完(ミサイル着弾率の縮減)ができるのであろうか?

 事前敵基地攻撃能力の保有により敵国との緊張が高まるのは必至である。

 そのデメリットを超えるようなメリットをもたらしうるであろうか?

 

 抑止力の保有の議論は、抑止力が議論に登場してきた前述の経緯により、はじめから歪んだものになっている。

 事前敵基地攻撃能力の保有による抑止力は、事前敵基地攻撃のそもそもの不十分性により、字義どおり攻撃が敵基地に限定されるのであれば、ほとんど抑止力としての意義は持たない。

 事前敵基地攻撃能力が抑止力としての意義を持つとすれば、それはその能力が敵基地のみならず敵国領土全般を攻撃する可能性があるからである。

 すなわち、抑止力の保有についての議論を抑止力という観点で純粋に考えれば、事前敵基地攻撃能力による抑止力というのはナンセンスである。

 抑止力が発揮されるためには、敵国の軍備のみならず、産業、インフラ、居住地等々敵国全般への攻撃破壊能力の保有ということにならざるをえない。

 また、抑止力が抑止力たりうるかは受けとめる敵国側の心理に依存するものであり、その点を考慮すれば、保有するべき抑止力は際限なきものとならざるをえない。

 現にアメリカ、ロシア、中国その他の核保有国が考えている核抑止力はそのような性質をもった核抑止力であろう。

 軍事的抑止力による国防を考えるならば、日本もそれらの国と同様に核ミサイル軍事大国の道を目指すという理屈になる。

 そして、そのような抑止力の保有は、いくら抑止力であって実際の行使はしないと説明したところで相手国にとっては「武力による威嚇」にほかならない。

 抑止力の保有は、「武力による威嚇の永久の放棄」という目的を達するためには「戦力の不保持」が必要という憲法9条の認識に真っ向から反するものである。

 抑止力論は我が国を軍拡競争への道に導くものであり、防衛論議の中で最も大きな危険をはらんでいるものである。

 

 以上のように防衛政策についての政府与党の検討の現状は、浅薄であるが上に問題が多く、かつ重大である。

 防衛費の増額はやむを得ないというようなことを立憲、維新、国民の3党も言い始めているが、その前に野党としてやるべきことを忘れてはならない。

 まずは議論を白紙に戻して、国際情勢の展望、仮想敵国の設定という防衛政策の基本からじっくりと検討してもらいたい。