2022年10月31日

 

 我が国の経済政策の現状について以下のような仮説に思い至った。読者諸兄姉の御意見を賜れば幸いである。

 

 投機的な動きによる急激な円安は許容できないという表向きの理由で、政府日銀は総額7~8兆円規模とみられる円買い、ドル売り介入を実施した。

 この介入について世間では、日米金利差の放置、貿易収支の悪化を考えれば介入効果に疑問との声でおおむね一致している。

 しかし、政府日銀には批判に動じる気配はまったく見えない。

 批判に動じないのはそれなりの理由があるからだと筆者は推測する。

 介入による円高効果を実は期待してはいないからだと推測する。

 そもそもこのたびの介入は、真の目的を隠すためのポーズであり、目くらまし、あるいは隠れ蓑としての介入であり、効果の有無にこだわりのある介入ではないのである。

 そして、隠されている真の目的とは、今回の介入とは逆向きの円安誘導なのである。

 物価上昇率2%の達成を目標として日銀は緩和政策を続けてきたわけだが、その目標が達成されるに至っても、賃金上昇を伴わない物価上昇では目標達成とは言えないと、黒田総裁はゴールを遠くに再設定して頑なに金融緩和政策を続けている。

 物価目標達成による景気回復、いわゆるリフレもまた世間を欺くための表向きの理由なのではないかと思われる。

 黒田総裁の真の狙いは、それを認めたならば国際的な批判を免れない、円安誘導なのだ。

 そして円安是正のための今回の円買いドル売り介入は、円安誘導が真の狙いであることを隠すための目くらまし介入というべきものであろう。

 

 円安が意味するところは、国際比較での日本の賃金水準の引下げである。

 その効果として円安は、日本に輸出拡大をもたらし、インバウンドそして輸入品との競合関係にあるドメスティック産業の振興にも大きなプラス効果をもつ。

 この円安で、円高時代には一斉に海外直接投資に走った企業のUターンも話題になってきている。

 円安は、実質的賃下げというマイナス効果を伴うものの、総じて大きな景気刺激効果をもつものなのだ。

 しかし、そのような一国主義的な為替誘導は国際的には禁じ手である。

 かつては国内経済優先の為替切り下げ競争が問題となり、近隣窮乏化政策というような名称が与えられたこともあった。

 為替切り下げ、円安誘導策は財政の観点からすれば安上がりの政策であり、早期の効果が期待される政策である。

 したがって苦しいときには各国政府ともすぐにやりたくなる政策である。

 その弊害を防止しようと、現代においては、為替政策について各国が厳しい監視の目を向けている。

 市場介入が認められるのは一時的要因による過度な変動が認められる場合であり、水準そのものをコントロールしようとするような介入は認められない。

 このため、円安誘導の意図を隠して、クロダノミクスはデフレ脱却、物価上昇を名目にして異次元といわれる金融緩和政策を展開してきた。

 そして日本はまんまと円安誘導に成功してきたのだ。

 民主党時代の1ドル70円台から今や150円台かそれ以上の水準をにらむところにまで至っている。

 この成果を簡単には手放したくない、さらにはもっと円安になることも歓迎というのが黒田総裁の考えであり、政府中枢(これがどの範囲なのか、筆者はつまびらかにしない。)の考えなのではないだろうか。

 

 円安誘導を表向きには目標に掲げられないので、政府にも党にも実は円安が真の目標であるということを知らないままの連中が数多くいる。

 これら非中枢の人間にとっては、日本はまんまと円安に成功したという認識がない。

 日本経済の低迷は引き続いており、そこに国際的な物価上昇と円安によるその加速というマイナス要因が加わったという認識が彼らには形成されている。

 そのような非中枢の認識が色濃く反映されたのが10月28日(金)に閣議決定された「物価高克服・経済再生実現のための総合経済対策」である。

 この総合経済対策は、円安誘導を企図する政府中枢がその隠蔽を貫徹するために、非中枢と妥協して非中枢的問題意識をたっぷりと盛り込んだものと評価される。

 円安誘導が本来の目標という立場からは、総合経済対策の規模は過大というほかなない。

 そこには理屈がつけばおカネをばらまくというポピュリズムしかない。

 

 円安誘導、日本の賃金水準の引下げ、それによる日本経済の再生という考え方は、相対的生産性の低下による世界の中での経済的地位の下降という日本が直面している冷厳な事実を事実として受けとめようというものだ。

 円高という有利性をいったんは返上し、国民の生活水準の低下(経済的実力を超える過剰消費の解消)を受け入れて、そこから再出発しようというものだ。

 日本は一流国の地位をいったんは放棄して二流国の立場から出直そうというものだ。

 したがって、物価上昇とはすでに覚悟している国民の生活水準の低下の具体的な現象であり、対策は物価上昇が生活破綻となってしまう最下層への対策にとどまるべきものであって、国民一般は物価上昇による生活水準の低下は甘受しなければならない。

 また、投資促進策はその根幹については円安(=相対的賃下げ)によって手当されているのであって、物価上昇分を価格転嫁できない産業、企業は丸抱えで救済するのではなく退場やむなしとし、新産業への投資促進は産業のインフラ的性格を有する必要最小限の分野にとどめるべきものだ。

 非中枢にはこの考え方、発想が皆無のため、ただただ政府の支出規模にこだわり、困ったことには何でもカネをつけよう戦略なき発想で、それが日本経済の再生策だとする知恵の無さに陥ってしまっているのである。

 

 このような非中枢に対して岸田首相は厳しい態度に出られなかった。

 大局観の欠如がその原因なのではなかろうか?