2022年10月15日
世界平和統一家庭連合(以下、「旧統一教会」と呼ぶ。)に対する解散命令についての私見を述べる。
旧統一教会が宗教法人としては解散することは好ましいことだと思う。
まずはその金権体質から発生する被害の防止の観点から結構なことだと思う。
また、家父長的家族制度をよしとする旧道徳的な政治運動が抑制されることになることも結構なことだと思う。
さらに、大勢は既に決したと思うが、自民党を裏からコントロールしようとする陰謀の壊滅が完全化することにも効果があると思う。
すでに旧統一教会の洗脳下にあった国会議員、地方議員の政治生命が断たれることにもつながるはずで、小気味いいことだと思う。
しかしながら、解散命令を発することには問題があり、解散命令は発するべきではないと思う。
その理由は、他の宗教法人、あるいは将来の宗教法人の活動への影響を懸念するからである。
現在の世論は、旧統一教会を解散させろという大合唱のようであるが、その理由は「社会的に好ましくない問題を数多く引き起こした」という感情的レベルのものと考えられる。
宗教活動、さらにはそこから派生する政治活動は、それが正当なものであっても、いや正当なものであればむしろより強く、一般の目からは「社会的に好ましくない問題」を引き起こすものであると考えておかなければならない。
筆者はキリスト教徒ではないが、イエス・キリストは当時、明らかに「社会的に好ましくない問題」を引き起こす、排除されるべき存在であった。
その芽を事前になくしてしまうような解散命令であってはならない。
旧統一教会への解散命令の理由が他の宗教法人、将来の宗教法人の正当な活動を阻害するものとならないように、厳密に吟味されなければならない。
単に被害を受けた者が存在する、多数存在するということでは、理由としてまったく不十分と言わなければならない。
解散命令は「伝家の宝刀」として、その前に被害救済、被害防止のために講じられる手だてはあるはずだ。
まずはそちらの方に精力を集中すべきだと思う。