2022年10月6日
宗教の定義を試みる。
まず、準備として、定義に使用する「通常意識」「非通常特殊意識」という言葉の意味を解説しておく必要がある。
人間を情報処理装置として考えることが出来る。
外部からの情報を感知し、区分けし、整理し、保存し、総合し、総合から規則を見出し、感知していないことをも推定する、というような機能を持つ装置である。
この情報処理装置について、その大宗を占める一般型というようなものが想定できる。
それは、一定の範囲の物質的現象に対する視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚(以上を「五感」とする。)及びそれらから得られた情報を整理し、規則を見出し、五感の対象範囲を越えた物質的現象を推定する論理性から構成されている。
この情報処理装置の一般型を「通常意識」と名づける。
我々が日常的に対している世界はこの「通常意識」によって獲得された世界である。
人間には、情報処理装置の一般型とは別の感知能力(「第六感」と呼ばれたりする。)を有することがあるらしい。また、一般型における論理性とは異なる推定能力(例えば「水平思考」「陰陽五行説」)を有することがあるらしい。
人間の中には、これらの一般型とは異なる感知能力、推定能力を特に強く有する者がいるらしい。
このような情報処理装置の特殊型を「非通常特殊意識」と名づける。
「非通常特殊意識」はその感知能力と推定能力により、我々が日常的に対している世界とは異なる世界をもたらすことになる。
「非通常特殊意識」とは、中立的立場からは「非通常特殊意識」と名づけるにとどまるが、否定的立場からすれば「狂気」「意識混濁」「惑乱」であり、肯定的立場からすれば「悟り」「神秘体験」「霊的直観」である。
我々の社会は「非通常特殊意識」についていずれの立場に立つのか、その答えを出すには至っていない。
宗教を定義する。
「宗教とは、非通常特殊意識がもたらす世界を、通常意識がもたらす世界よりも、実在性において優位にある世界、あるいは同格の世界と信じること、そのために非通常特殊意識の獲得を目的として活動すること、あるいは、この信じることを基礎に集まった集団・組織、この活動をともにする集団・組織のことをいう。」
(注1)
宗教は副次的に倫理、政治思想を伴うことが普通である。
非通常特殊意識が一つの世界をもたらすゆえに、その世界での倫理、政治思想が生まれてくる。
この結果、通常意識がもたらす世界での倫理、政治思想を背負う世俗権力と宗教の戦い、また異なる世界ゆえの異なる倫理、政治思想を背負う宗教同士の戦いが必然となる。
(注2)
定義にあるようには信じていないにもかかわらず、宗教に副次的に伴う倫理、政治思想の主張のため、あるいはその他の宗教の副次的要素(非利己的外見、儀礼に伴う快感、犠牲的献身等)を獲得するため、信じていることを装い、宗教であることが自称される場合が多くある。これは似非宗教であって、宗教ではない。
(注3)
非通常特殊意識がもたらす世界の原理が通常意識がもたらす世界の原理と根本的に異なる場合と、微妙な違いがあるにすぎない場合がある。
例えば、実在を全面的に否定する仏教の「空」の思想が前者であり、王権神授説の社会と立憲君主制の社会の違いが後者である。
前者のような場合、宗教の側が世俗の世界への介入を抑制することによってその存続が図られている。
というよりは、抑制しなかった宗教は存続できずに滅んでしまっている。