2022年9月1日
31日(水)の岸田首相記者会見、支持率急低下を受けてその回復を図ろうとのねらいがあったはずのものであったが、その矛盾と不十分性によって笑止千万のものとなった。
まず国葬について、「説明が不十分という批判を真摯に受け止め、正面から答える責任がある」とする。
それは結構なことだ。
しかし、それならば、その記者会見で直ちに国葬についての説明を行うのが当然のことである。
なぜ、「国会の閉会中審査に出席し、自ら説明する」でなければならず、国民はそれまで待たなければならないのか?
それまでの準備期間に説明振りを検討しなければならず、現在は説明できないというように感じられる。
そんな言い振りでは記者会見で得点をあげられない。
次に旧統一教会について、総裁としてのお詫びの表明があった。
そのお詫びの理由らしきものとして「教団と自民党議員が密接な関係だったのではないかという懸念や疑念をいただいている」と語られている。
お詫びの理由が明確でなければ、お詫びはお詫びとして成り立たない。
お詫びの前提には旧統一協会がいかなる団体であるのかという認識があるはずだ、なければならない。
その認識が語られなければお詫びは「お騒がせして申し訳ない」というレベルにとどまる。
その認識が語られないから、「関係を断つことを党の基本方針とする」「(党の方針が守られない場合)同じ党で活動できない(茂木幹事長発言)」と語っても発言に迫力が欠けるのだ。
旧統一教会の性格、活動内容はカクカクシカジカであり、関連団体は旧統一教会と一体であり、あわせて反社会的組織である。
この認識を明言しなければ、お詫びも今後の方針も「懸念や疑念」を免れないのだ。
この点でも岸田首相は得点の機会を失った。
そして、今回の記者会見での最大の焦点は矛盾、精神分裂的内容が、岸田首相によって平然と語られていることである。
旧統一教会との関係について総裁にお詫びをさせた原因を作ったのは安倍元首相であり、この件についてのA級戦犯である。
その他の議員は安倍元首相に比べればすべてが従犯であり、BC級にすぎない。
この安倍元首相という反党A級戦犯が国葬に値すると、岸田首相は記者会見で堂々と語っているのだ。
犯された犯罪を一方で非難しながら、その犯人を一方で称揚するなどという芸当は一般の人間のできることではない。
この点について岸田首相は説明可能と考えているのだろうか?
政治家というのはやはりどこかで一般人を超えた特別な資質を持つ人なのであろうか?
おそらく、近々に行われる国会の閉会中審査に向けて、岸田首相記者会見の中の矛盾、精神分裂的内容を何とか合理化するために、官邸では極めて困難な想定問答の作成に幹部職員が忙殺されていることだろう。
国葬断念の一言で無用となる無意味な知的活動である。
国葬経費の浪費に加え、我が国の最高級の知性がそこで浪費されている。
国政危うし!
なお、記者会見とは別のことながら、予算の概算要求が提出され、防衛省からの「事項要求」(金額非呈示の予算要求)に関連して「反撃能力」という単語が登場する。
永田町、霞が関、市谷における日本語使用の杜撰さを示すもので、日本人としてナショナリスティックな観点から抗議しておきたい。
「反撃能力」なる言葉が登場したのは、「事前敵基地攻撃能力」の保有が問題となる中で、「事前敵基地攻撃能力」なる言葉が余りにも刺激的に過ぎるという懸念からそれに代わる(誤魔化す)言葉として自民党筋から持ち出されてきたという背景がある。
しかし、「反撃能力」といえば、一撃を受けた「後」の対応を意味する。「事前敵基地攻撃能力」は一撃を受ける「前」の対応を意味する。
まったく真逆の意味を持つ言葉である。
そして、実質的内容は「事前敵基地攻撃能力」であり、「反撃能力」という言葉のもとで「事前敵基地攻撃能力」が検討されるのである。
こんな変な国語状態が永田町、霞が関、市谷で横行している。
国語危うし!国防危うし!