2022年8月24日

 

 「自衛権」という言葉が表わす内容は、5つの種類に分けることができる。

 憲法第9条改正問題とは、これらの自衛権の種類にもう一つ自衛権の放棄という選択肢を加えて、それらの中のいずれかを、あるいは組み合わせを、国是として決めることを意味するものである。

 したがって、憲法第9条改正問題に取り組むにあたり、5つの種類はそれぞれはっきりと弁別されなければならない。

 以下、その5つの種類についてそれぞれ説明しよう。

 

1 自衛権:

 自衛権に何の形容詞もつけないと、日常的な言葉遣いと異なって、2つの自衛権を意味することになる。

 「個別的自衛権」と「集団的自衛権」である。(それぞれの自衛権の内容については次項以下に説明する。)

 国連憲章第51条(自衛権)では「個別的自衛権」と「集団的自衛権」を加盟国の「固有の権利」としている。

 国連憲章で認められている武力行使は、この「個別的自衛権」「集団的自衛権」による武力の行使と国連・安全保障理事会が行う措置としての武力の行使に限られている。

 したがって、例えば「自衛のための軍」といえば、その軍は「個別的自衛権」により武力を行使するのみならず、「集団的自衛権」により武力を行使する場合もあることになる。

 「自衛のための軍」という言葉がもつ領土領海領空を内側から防衛するイメージとは異なる海外派兵的な内容が含まれるのである。

 日本は憲法第9条により、国連憲章では認められている2つの自衛権のうち「集団的自衛権」は放棄していると従来解釈されてきたが、先の新安保法制において特定の場合に限って、すなわち我が国の存立危機の事態に限っては、「集団的自衛権」による武力行使を可能とする立法が行われた。

 

2 個別的自衛権Ⅰ:

 自国に対して武力攻撃が発生した場合、あるいは武力攻撃が発生する可能性が客観的に認められる場合に、これを抑圧・阻止するために相手国に対して武力を行使する権利である。 

 一般的な「自衛権」のイメージに合致するものである。

 国連憲章上では武力攻撃の発生の可能性だけで相手国に対して武力行使が認められることは明示されてはいないが、常識的判断としてそれもまた「個別的自衛権」に含まれると理解されている。

 しかし、今回のロシアによるウクライナ攻撃について、ウクライナによるロシア攻撃の可能性が現実にあったとは認められず、ロシアの行為は国際法違反の「侵略」と理解されることに象徴されるように、また日本の朝鮮、中国、東南アジア侵略が自衛の名のもとに、「生命線」などという言葉のもとに、行われたことに象徴されるように、武力攻撃の発生の可能性を自衛権発動の理由として認めることは、その拡大解釈を呼ぶおそれが大きく、戦争抑止の観点からは大きな問題である。

 その点に着目し、武力攻撃の発生の可能性の判断について限定をかけようという姿勢を有する個別的自衛権のタイプが考えられることになる。

 次の個別的自衛権Ⅱがそれである。

 

3 個別的自衛権Ⅱ:

 一般的には個別的自衛権にもう一つのタイプがあるという理解はない。

 しかし、日本国憲法第9条についての政府見解に基づく個別的自衛権は、Ⅰのタイプの個別的自衛権よりは制限された個別的自衛権だと解釈される。

 すなわち、いわゆる「47年政府見解」(本見解を取りまとめた当時の内閣法制局長官吉国一郎の名をもって「吉国見解」とも呼ばれる。正式名称は「集団的自衛権と憲法との関係に関する政府資料」(S47.10.14参院決算委提出資料)。題名にあるようにメインテーマは憲法による集団的自衛権の否認。新安保法制制定時のH26.7.1国家安全保障会議決定、閣議決定においても「政府が一貫して表明してきた見解の根幹、基本的論理」として言及されている。)で次のように述べられているのである。

 「しかしながら、だからといって(注:憲法が個別的自衛権による武力行使を禁じているとはとうてい解されないとはいっても)、‐‐‐自衛のための措置を無制限に認めているとは解されない‐‐‐急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利(注:生命、自由及び幸福追求の権利)を守るための止むを得ない措置としてはじめて容認される‐‐‐その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最小限の範囲にとどまるべきものである。」

 この政府見解は、武力攻撃が発生する可能性が認められる場合に関し「急迫、不正の事態」という刑法第36条(正当防衛)の表現を援用することによって、「個別的自衛権」発動が認められる場合の拡大解釈を防止していると考えられる。

 この政府見解に基づけば、ロシアのウクライナ侵攻、日本の満州、中国、東南アジア侵略は「個別的自衛権」行使の逸脱として明確に裁決されることになる。

 なお、Ⅰのタイプ、Ⅱのタイプいずれの「個別自衛権」においても「事前敵基地攻撃権」は否定されていない。

 武力攻撃が発生する可能性が客観的に認められる場合、武力攻撃発進基地への攻撃は観念的には容認されざるをえないということなのであろう。

 もちろん、実際にそのための軍備をもつか否かは、現実的に効果があるか、莫大なコストの負担は可能か、かえって相手国の警戒を強めて情勢を不安定化させるのではないか等々、政策上の課題として慎重に検討されなければならない。

 

4 集団的自衛権Ⅰ:

 自国と密接な関係にある外国(=同盟国)に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、武力行使により阻止する権利である。

 当然のことながら、見返りに自国に対する武力攻撃を同盟国が武力行使により阻止してくれることを期待するものであり、また同盟としての綜合的な武力による抑止力を期待するものである。

 実際には、条約その他の取り決めにより武力行使を実施する地域、タイミング、行使される武力の内容、さらには参戦判断権の有無等は同盟国との間で事前に決定される。

 したがって、集団的自衛権はまずはそのような条約等の締結の権利ということになる。軍事同盟、古いことばでは攻守同盟、これを結成、これに参加する権利である。

 同盟国と運命共同体となることを意味するものであり、同盟国と対等の立場になければ、同盟国に従属することになるともいえる。

 このことからベトナム戦争、湾岸戦争などを例として、「集団的自衛権」の容認は同盟国の戦争に巻き込まれるおそれがあるとの議論を呼ぶ。

 さらに過去決して同盟国がその外交・軍事活動においてイノセントではなかったことを考えれば、同盟国の正当性なき戦争に巻き込まれるという問題をはらむ。

 さらに根本的にいえば、世界が2つの軍事・経済ブロックに分割されているというような単純な構造であれば別だが、今日のような複雑な全地球的相互依存体制下において同盟国と反同盟国というような二項対立的な発想をすることは、平時における通常の経済活動を著しく妨げるものであり、果して現実的なものといえるかどうかという問題を~日米欧対中露という図式で二項対立の方向にむりやり誘導する世論工作が感じられるところであるが~「集団的自衛権」の選択は有している。

 さて、「集団的自衛権」のうち、軍事同盟条約等の締結に際し、事前に国内的に条約等の内容に制限を設けない場合、これを「フルスペックの集団的自衛権」という。

 「集団的自衛権」のⅠのタイプはこの「フルスペックの集団的自衛権」である。

 新安保法制で容認された「集団的自衛権」はその行使が「存立危機事態」に限定されており、「フルスペックの集団的自衛権」ではない。

 この限定がはなはだ不自由で、実際の我が国自衛隊による海外での武力行使を事実上困難にしているという不満が日米両国内にあり、憲法第9条の改正により「フルスペックの集団的自衛権」が認められるよう要求する声がある。

 一方、「フルスペックの集団的自衛権」のもとで、すなわちまったくの無条件で、具体的内容の決定を政府にゆだねると、同盟国との力関係、政府の対同盟国従属性、政府の国民の生命についてのコスト意識等の影響により、条約等事前の取り決めの内容が著しく不適当な内容となるおそれがある。その懸念から、事前に立法府において政府の条約締結権にしばりをかけておこうという発想が生じる。

 次の集団的自衛権Ⅱがそれである。

 

5 集団的自衛権Ⅱ:

 「集団的自衛権」に事前に制約を設定しておく「集団的自衛権」である。「フルスペックの集団的自衛権」ではない「集団的自衛権」である。

 我が国の新安保法制により容認された「集団的自衛権」が「フルスペックの集団的自衛権」ではなく、限定された「集団的自衛権」となったのは、現行憲法第9条に「フルスペックの集団的自衛権」を容認する余地はないと判断されたためである。

 3で言及した「47政府見解」に述べられているように、憲法第9条が容認する武力行使は「急迫、不正の事態への対処」に限るとされ、同盟国に対する武力攻撃がすなわち我が国にとっての「急迫、不正の事態」とすることはできないと判断されたためである。

 しかし、たとえ我が国が直接攻撃されていなくても、それが「存立危機事態」であれば、「急迫、不正の事態」と同じレベルの危機的事態であるとの解釈のもと、限定されたケースとして「存立危機事態」における「集団的自衛権」が認められたのである。

 ただし、「存立危機事態」として国会審議の場で具体的に挙げられたケースは「ホルムズ海峡機雷敷設ケース」「日本人避難民乗船の米軍艦艇、航空機への攻撃ケース」「日本防衛のための作戦行動中の米イージス艦等同盟国艦艇への攻撃ケース」「対米攻撃ミサイルの日本上空通過ケース」などであるが、存立危機性の不十分さ、個別的自衛権によって対処すべきケース等の問題が指摘され、最終的に「集団的自衛権」の行使の事例として確定されたものはないというのが実情である。

 なお、「集団的自衛権」に課された「存立危機事態」という制約は、憲法第9条があったからこそ課せられたという理解が可能である。

 憲法第9条を離れて考えれば、政府の条約締結権にしばりをかけるために、様々な条件付きの「集団的自衛権」を構想することができる。

 その場合には、武力行使の対象地域、タイミング、行使する武力の内容、参戦判断権の設定等々を具体的に考えることになる。

 

 現在の我が国の憲法第9条下での自衛権は、上記の個別的自衛権Ⅱと極めて限定的な集団的自衛権Ⅱによって構成されている。

 そして冒頭に述べたように、憲法第9条改正問題とは、上記の各種自衛権プラス自衛権の放棄という選択肢からいずれかを、あるいは組み合わせを、国是として決めることを意味するものである。

 このことから離れて憲法第9条改正問題はない。

 このことについての議論なくして憲法改正の賛否を問うような世論調査はまったく無意味・無内容と言わなければならない。

 憲法第9条改正問題は、まずは国民に自衛権の内容の理解を促進し、国民に具体的選択肢を提示し、国民の間で自衛権の内容を検討する機運が醸成されることから始まらなければならない。