2022年7月30日

 

 世界の、そして日本の、良心的な反戦平和運動の存在意義は、これをいくら強調しても強調しきれない、いくら称揚しても称揚しきれない。

 しかし、そこに明らかな知的怠惰があることを指摘せざるをえない。

 運動参加者たちは自分たちの運動にもかかわらず世の中から戦争がちっともなくならないと嘆く。

 嘆くのであれば、なぜ世の中から戦争がなくならないのかを考えてみるべきである。

 そして、答えは容易に見つけることができる。

 ナショナリズムというエゴイズムを人類が現在のところ克服できていないから、というのがその答えである。

 そして、次に考えてみるべきは、ナショナリズムを克服するにはどうしたらいいか、ということになる。

 その答えを得るのは容易ではないが、その方向にしか反戦平和運動の行くべき道はない。

 しかし残念ながら、そのような方向への問いの発展はほとんど見られない。

 平和の願いがかなえられないのはなぜかという子どもたちの素朴な疑問をそのような方向に導く姿勢がない。

 「祈るばかり」というような取り敢えずの表明でお茶をにごす対応が横行している。

 大人たちのその態度に対して、「知的怠惰」というのはやさしすぎる批判だと思う。

 大人たちのその態度は「偽善」と名づけられるべきだと思う。

 大人の「偽善」が子どもたちの人格形成の上でいい影響を与えるはずがない。