2022年7月19日
7月19日(火)朝日朝刊によれば、同社世論調査の結果、「岸田政権のもとで憲法9条を改正し、自衛隊の存在を明記することに賛成ですか。」という質問に対し、過半数の51%が賛成し、反対は33%であったという。
さぞかしあの世で安倍はしてやったりとほくそ笑んでいることであろう。
1479(安倍晋三、民主主義政治家に非ず)でも論じたように、憲法9条改正の争点は「自衛隊明記」ではまったくなく、真の争点は「集団的自衛権の制約の解除」(脚注参照)である。
反国民的政治家・安倍晋三は、「集団的自衛権の制約の解除」が争点となった場合は、国際紛争への巻き込まれ、アメリカからの自衛隊派兵要請に対する拒否困難等から憲法9条改正への国民の支持獲得は困難と判断していた。
このため、憲法9条改正の真の争点が「集団的自衛権の制約の解除」であることを隠し、争点隠しのため「自衛隊明記」を憲法9条改正の目的であると国民をだましたのである。
自衛隊違憲論は、憲法制定時の立法趣旨にこだわる学会に残存はするが、政治的にまた国民感情的にもはや存在しない。
その追認に過ぎない「自衛隊明記」であれば、国民に抵抗はない。
狡猾な安倍はそれに乗じて憲法9条改正の実現を図ったのである。
憲法9条改正に慎重な朝日新聞がこれを知らないはずがない。
そもそも憲法9条が厳しい制約となっている自衛隊の海外派兵を「国際貢献」の観点からできるだけ拡大しようという議論が活発になったのは、1991年クウエートを侵略したイラク・フセインに対する多国籍軍に日本が参加せず、巨額の資金拠出は評価されなかったことを日本の屈辱とする経験からであった。
そして、2015年の新安保法制に至り、「存立危機事態における集団的自衛権の行使」という仮想概念を法制化するところまでを実現し、改憲勢力にとっての残る課題は現行憲法9条による集団的自衛権の制約を完全に解除することとなっていたのである。
現在の憲法9条改正の議論はこの流れを受けたものであって、この流れに沿わない9条改正は改憲勢力にとって決して意味のある改正とはならないのである。
このような経緯を無視して、なぜ朝日新聞は「自衛隊明記に賛成ですか」というような安倍の術中にはまるような能天気な質問を世論調査で発したのであろうか?
もし「自衛隊明記」についての質問を外せないとすれば、同時に「憲法9条を改正し、集団的自衛権の制約を解除することに賛成ですか。」という質問も発するべきであった。
そして、その結果はおそらく、国民一般が集団的自衛権についての理解が不十分のため、賛成でも反対でもなく、「わからない」という答えが多かったであろう。
その「わからない」という結果を踏まえて、集団的自衛権とは何であり、いかなる結果をもたらすものであるかを国民に知らせること、それこそが報道機関の責任というべきであろう。
争点が争点として意識され、その上で国民の判断が下される、それこそ憲法改正の国民投票のあるべき当然の姿である。
そのことは絶対に確保されなければならない。
今後、この問題は具体的な改正条文をめぐっての議論へと展開していくことになる。
そして、改憲勢力から提案される改正条文は、必ず、現行憲法9条による集団的自衛権の制約を解除する内容になっている。
自衛権という言葉を使用することによって、個別的自衛権も集団的自衛権も包含し、集団的自衛権を無制約で認めるという方法が採られる。
100%の確率でこの方法が採られる。
集団的自衛権は、これを問題提起しなければ、自衛権という言葉の中に隠されたまま、争点にならないで国民投票にまで行ってしまうことを筆者は恐れる。
万万が一にもそれほど野党もマスコミも馬鹿だとは思いたくないが、世の流れというものははなはだ恐ろしい。(ナチスの政権奪取の経緯がいい例である。)
「悪」の芽は早めに摘んでおくことが肝要である。
(脚注)集団的自衛権
同盟国が武力攻撃を受けた場合、自国が直接攻撃を受けた場合でなくても、同盟国を攻撃した国を攻撃することができる権利。
実際には事前に同盟国との間でそのような権利義務を内容とする条約が締結される。
国際法上、集団的自衛権は認められている。
我が国では、憲法9条により、個別的自衛権は認められているが、例外的ケース(同盟国が受けた攻撃=我が国の存立危機)を除き、集団的自衛権は認められていない。