2022年7月14日

 

 事件当日、7月8日(金)、「現時点での推測」として安倍元総理銃撃事件の犯人像などを推測した。

 その後明らかになった事実はこの推測とまったく正反対のものであった。

 

 推測では、①犯人は銃・爆発物マニアで、②計画性に乏しく、③犯人の自己顕示欲が事件を起こしたのだった。

 事実は、犯人は家庭を破壊されたという強い怨恨により、20年も前から報復を決意しており、銃・爆発物の製造技術はその報復手段獲得のために習得されたものであって、犯行は計画的なものであった。

 

 推測では、相手は誰でもかまわない通り魔的事件であり、政治性に乏しい、社会的病理現象の範疇に属する事件とした。

 しかし、殺害対象は十分な検討の上で選択されていた。

 対象とされた安倍元総理にしてみれば不本意ではあろうが、その選択には一定の筋道があり、合理性がないとすることはできない。

 犯人にとっては許しがたい犯罪的宗教団体のダミー組織に対して、社会的影響力の極めて大きい公人という立場にもかかわらず、安倍元総理は支援メッセージを送っていたのだ。

(安倍元総理は支援メッセージを送るにあたり、当該団体が当該宗教団体のダミーであることは、百も承知であったはずである。)

 そして、犯人にとっては政治的行動ではなかったが、怨恨対象の宗教団体が極めて政治性の強い団体であり、そして安倍氏の政治家としての行動の結果が事件を発生させたことからして、事件は政治性の高いものと考えざるを得ない。

 安倍元総理にとっては、その政治的リスク計算からすれば極めて小さなリスクの部類に入るところから発生したものではあったが、その政治活動がもたらしたものであることは否定しがたく、すなわち安倍元総理の死は政治的死であった。

 

 12日(火)のニュースステーションで大越キャスターが宗教団体への怨恨を安倍元総理に結びつけた犯人に異常性、非合理性があるとしていた。

 宗教団体への怨恨までは理解可能とせざるを得ず、しかし事件を理解不可能な異常性のあるものとしたいという大越キャスターのスタンスがそのような説明を生んだものと考えられる。

 一般の人々には我々の社会についてのある種の信仰があり、その信仰に沿った社会事象の解釈への願望がある。

 すなわち我々の社会は合理的なものであるという信仰であり、その信仰が裏切られないように、社会を乱す事件は社会の異分子の異常な狂気によって惹き起こされたと解釈してほしいという願望である。

 大越キャスターの説明は、そういう世間の要求への迎合であり、世間への忖度であったと考えられる。

 本件における犯人の理不尽さは、最終的な行為が殺人だったということを除けば、これを見出すことはできない。

 大越キャスターには、人気商売とは言え報道人としての気概を大切にしてほしいと思う。