2022年7月13日

 

 故安倍元総理は、いわゆる東京裁判史観の批判者として、憲法9条改正論者として、その先頭に立つ政治家であると同時に、積極財政論者(=財政再建軽視論者)としても先頭に立つ政治家であった。

 故安倍元総理に限らず、積極財政論の立場に立つ人には民族主義的傾向が強い人が多いように思われる。

 積極財政論と民族主義はどのようにつながっているのであろうか?

 

 民族主義者は、単に日本人の利益を最優先に考えるだけの人たちではない。

 民族主義者は、日本人の利益が最優先されるべき根拠があることを信じるのである。

 日本人は優秀である、その優秀さが発揮されることは人類全体にとって利益である。こう何となく考えているのである。

 根拠は、明治以来の日本の近代化の成功、先進国化である。

 科学的に考えれば、そんなことは歴史の偶然であって、日本人の優秀さの根拠にはまったくなりえない。

 だが、何となくそのように考え、信じているのである。

 

 日本人は優秀であると信じている民族主義者にとって日本の経済的地位の急激な低下は了解困難な現象である。

 優秀さを妨げている原因があるにちがいない。

 発展可能性の阻止要因があるにちがいない。

 そうでなければ、日本人の優秀さは否定されることになり、民族主義の前提が成立しなくなる。

 民族主義が単なるエゴイズムに堕する。

 民族主義者はこういう心理的圧迫下に置かれている。

 

 そして民族主義者は次のようにかんがえる。

 こういうことに国家予算を使いたいという我々の要求は、すべて国にとって良かれという考えから出てくるものであり、日本の発展のための国家投資の要求である。

 それを抑止することは発展可能性の阻止というものだ。

 すなわち、我々の要求を拒絶する財政の抑制こそ日本の優秀さ発揮の妨げであり、日本の経済的地位の低下の原因である、と。

 要するに、日本人は優秀であると信じる民族主義の立場からは、財政は積極的であるべきであるということになるのだ。

 財務官僚は遠ざけられ、経産官僚が歓迎されることにもなる。

 

 この論理(=この心理)の誤りはどこにあるか?

 第1の誤りは、日本人は優秀であるという思い込みである。

 そして、第2の誤りは、彼らの要求する財政支出は日本のための効果的な投資であるという思い込みである。

 誰もが陥りやすい非科学的我田引水である。

(財政支出の増により短期的に景気を上向かせることはできる。しかし理論的に長期的成長効果を立証することはできない。

 現実には成長どころか、経済を脆弱化させ成長力を低下させる。)

 

 故安倍元総理は、論理的破綻に躊躇することなく主張を貫くことに能力のある、すなわち口喧嘩がうまい政治家であった。

 積極財政論は安倍元総理の逝去により勢いを削がれることになるであろう。

 自衛隊明記必要論からの憲法9条改正論も出直しを余儀なくされるであろう。