2022年7月9日

 

 政治家の政策的主張は正しかったり、正しくなかったりする。

 正しくない政策的主張は、情況認識の不十分、自己の階級的立場の無自覚、基礎となる世界観の誤謬等々によって発生する。

 そのような主張をする政治家を支持することはできない。

 しかし、その主張が当該政治家の知的誠実性のもとで発せられたものならば、当該政治家を政治の舞台に立つ者として認めることができる。

 むしろ、認めなければならない、と言うべきであろう。

 そのような知的に誠実な政治家たちの切磋琢磨、それが民主主義というものだ。

 

 安倍晋三の場合、この政治家の条件に当てはまらない。

 日本の国の在り方において最重要というべき憲法9条改正の問題において、国民をだまし、国民の正しい判断を妨げようと企てていたのだ。

 すなわち、安倍晋三の9条改正の真の狙いは、現行憲法では許されない集団的自衛権行使を可能にしようというところにある。

 現行憲法の「専守防衛」の原則の放棄であり、自衛隊の海外派兵の道を大きく開こうというものである。

 そして、それは我が国に対するアメリカからの要求である。

 その狙いを安倍晋三は隠して、もはや政治的争点ではない自衛隊の合憲性について、あたかもそれが争点であるかのごとく主張し、自衛隊の存在を憲法に明記することによって自衛隊の合憲性を明らかにする必要があると説いているのだ。

 そして、自衛隊の存在を明記する改正案文において、隠していた集団的自衛権の行使をそっと忍び込ませているのだ。

 集団的自衛権に関して国民の判断を仰ぐことなく、集団的自衛権の行使を実現してしまおうという謀略ともいうべき行為である。

 安倍晋三の知的不誠実、国民に対する裏切りと断罪せざるを得ない。

 

 国民をだますという行為は、国民はだませる程度の知的存在だという、国民を愚弄した認識のもとでなされる行為である。

 また、国民をだますという行為は、国民はだます対象であるという、国民を目的でなく手段であるという専制的意識のもとでなされる行為である。

 国民をだますための言論は、到底、民主主義的言論とは言えず、そのような言論を振り回す政治家を民主主義政治家とすることはできない。

 それは民主主義を否定するという意味では、民主主義的言論を封じようとするテロ行為とまったく同レベルのものと言わざるを得ない。

 テロ行為の犠牲になったことについては気の毒であり、冥福を祈るばかりだが、テロ行為の犠牲になったからといって安倍晋三が民主主義政治家であったかのごとく取り扱うとすれば、それは大いなる誤りである。