2022年7月8日   

 

 安倍元総理は銃・爆発物マニアの犠牲になったのであって、その死は政治的死ではなかった、というのが現時点での筆者の推測である。

 犯人は自分が作った銃を使ってみたかったのであり、それを見せびらかしたかった。そのためには相手が大物であればいいのであって、安倍元総理でなければならないということはなかったのではないかと推測する。

 

 まず、犯人自らの言明がある。

 安倍元総理に対して不満があり、殺さなければならないと考えていたが、政治的信条に不満があったのではないという言明である。

 それならば、何が不満だったのか?

 たぶんその解答は永遠に明らかにならないであろう。

 その理由は、解答が存在しないからだ。

 安倍元総理が標的になった理由は、標的たりうる大物、見せびらかし効果が十分ある大物であったということにすぎないと推測されるのだ。

 

 今回の事件には計画性に乏しいところがある。

 安倍元総理の大和西大寺での選挙応援は前日に決まり、関係者しか知らなかったとされている。

 組織背景がないと思われる犯人が早期に知ることができるはずはなく、知ったのはおそらくこの日になってからのことであろう。

 すなわち銃撃実行は突然に決意されているのだ。

 かねてより安倍暗殺を企図していたのであれば、安倍元総理が現われる可能性の高い別の場所、例えば下関の事務所、党本部、国会前、での実行が計画されたに違いない。

 今回の場合、犯人にとってあたかも自分のふところに安倍元総理が飛び込んできたようなかたちになっている。

 要は偶然性によってこの事件は起きているのだ。

 逆に言えば偶然がなければこの事件は起こらなかった。

 そんなテキトーな殺意は殺意とは言いがたい。

 

 犯人が銃・爆発物マニアであることは当局がかねてより把握していたことがうかがわれる。

 そうでなければ、犯人自宅の捜索に爆発物処理班があれだけ動員されることはないだろう。

 犯人は要注意人物であった。しかし、銃・爆発物マニアとしてであって、当局の注意はそこでとどまっていたと思われる。

 当局は、反安倍は極左か極右、政治的世界にしかいないと考えていたのであろう。

 それは正しいのであって、犯人は反安倍とは言いがたい人物であるのだ。

 反安倍が眼に出てこないからSPや私服が犯人を見落としたということがあったのかもしれない、とも思う。

 

 相手は誰でもかまわなかったという通り魔的事件が世間では頻発している。

 今回の事件の性格はそのような通り魔的事件に類似しているのであって、政治性は乏しく、社会的病理現象の範疇に属する事件と考えられる。

 以上の現時点での推測が当たっているとすれば、政治家安倍晋三としてはさぞかし無念の一層募るところであろう。